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2006年1月 2日 (月)

キリシタンの挫折

キリシタンが日本を「征服」できずに挫折したのは、日本の文化という高い壁があったからだと思う。当時、カトリックの布教が伸びていったのは、そんな文化の壁を持たなかった世界の地域であったと思う。今、カトリックの国々がプロテスタントの国々に比べて国のあり方が遅れているという事実は、そんなところに原因があるのではないか。
宗教が心の問題としてのみ導入されたのであれば、当時の日本でも生き延びる可能性はあったと思うが、政治的な主権の確保が結びついていたので、政治問題になったのであろう。布教方針の限界が、そこにあったのだと思う。その背景には、政治・宗教一体の中世共同体を認めることが出来るのだろう。近世の初めといっても、カトリック世界は中世との連続の中で生きていたからだ。日本がキリシタンを拒否したのは、当時としては当然であったかも知れない。
しかし、近代日本で、そのようなカトリック信仰を持つ外交官が日本を評価していた。1943年、パリで、ポール・クローデルが、こう言った。
「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でただ一つ、どうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」
クローデルは大正末期から昭和の初めまで駐日フランス大使を務めた詩人である。1923年(大正12年)、『聖ジュヌヴィエヴ』という題の詩集を新潮社から出している。そこでは、日本を「非常に古い文明を持ちながら、それを見事に近代文明に適応させた国」と称賛している。それから20年後の言葉であるが、その意味は、まだよく分からないでいる。彼は日本のどこを見たのだろうか。

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