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2006年1月31日 (火)

瞬間の飛躍

大学生だった時、和辻哲郎の『ゼーレン・キェルケゴール』を読んで、とっても感動した。和辻さんの若い時の本だったとのことだが、驚いたことを今でも覚えている。その中に「瞬間の飛躍」について書いてある個所がある。
「神はただ瞬間の飛躍によって生れ更った人にのみ直接の事実である。飛躍の経験なき人にとっては如何に悟性が証明しても神は存在しない」
「飛躍の経験ある人には神は直接の事実である。それを経験しない人には、如何に完全な証明を与えられても神は存在しない」
「キェルケゴールは精神生活の真の開展がただ飛躍によってのみ可能であることを説いた。人間が何らか重要な一歩を進めるのは極めて突発的である。前の瞬間にはそういう現実はなかった、次の瞬間にはそれは確実な現実である。前後の瞬間は性質的に全然相異っている。即ち人は新しいより高い段階へ性質的変形によって突発的に到達するのである。自然現象に見られる如く萌芽としてある者が漸次開展するのでは決してない。連続ではなくて飛躍である」
最近は実存主義もキェルケゴールも流行ではなくなったが、それでも現代人は、こういうキェルケゴールを葬ることはできないと思う。

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コメント

この飛躍というのは宗教の最後の聖域なのだろう。ということは、この飛躍がなければ、宗教といっても政治になるだろうからである。政治一元になるだろうからである。しかし、政治は、この飛躍も解釈して、政治一元にまとめてしまうのである。

投稿: | 2006年2月 1日 (水) 06時43分

和辻哲郎氏がキェルケゴールを書いたのは26歳の時だそうです。その二年前の24歳の時にはニーチェを書いています。驚きです。

投稿: | 2006年2月 2日 (木) 19時12分

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