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2006年1月22日 (日)

夢見る少年

私は夢見る少年になりたい
眠って見る夢でなく
覚めて見る夢を見たい
覚めて見る夢とは思い出のこと、
そして自分が何かを知らせてくれるもの
時代を超え、国境を越えて
夢は広がる
少年の心を持って
そんな夢を見続けたい
司馬遼太郎とは、
そんな夢見る少年であった

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コメント

小林秀雄は『無私の精神』の中で、こんなことを言っている。「大歴史家とは、思い出の達人であって、文献整理の達人ではない」。

投稿: | 2006年1月27日 (金) 00時17分

「歴史は、存在論的記憶により、能動的な想起における過去への参与によって、内的実存として認識される。そのためには私は過去を、私自身の過去として、私の精神の原歴史として認識しなければならない」とベルジャーエフは『ロシア共産主義の歴史と意味』の中でいう。こういう過程を経て、歴史というものは現在に意味あるものとして、よみがえるのだろうと思う。しかし、学校の授業では、こういう歴史は教えられない。だから、つまらない。しかし、それは教師の責任でも、教科書の責任でもない。

投稿: | 2006年1月28日 (土) 19時57分

存在論的記憶とはどんな記憶か、たとえば、神の前を逃れようとしたヨナが、心のうちでなした不服従の決意のようなものでしょうか。

投稿: | 2006年1月28日 (土) 23時08分

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