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2006年1月17日 (火)

ルター像

「新しき中世」というテーマに関して、フランスの思想家ジャック・マリタンを抜きには考えられないだろう。日本で、この立場の論客は、ただ一人、吉満義彦であった時がある。彼は日本人ではただ一人のマリタンの弟子であった。しかし、残念ながら、マリタンの著書は、日本では余り翻訳されていない。その中で、たとえば、『三人の改革者』(1923)という著書があり、翻訳が出ていた。ルター、デカルト、ルソーを論じたものである。
以前、読んだ時、ルター解釈が何か、それまでの理解とだいぶかけ離れたもので、プロテスタント信仰者の中では、批判があると思ったが、実際、そうであった。『激動するアメリカ教会』(古屋安雄著、ヨルダン社)の149-152頁を参照すると、こう言われている。
マリタンのルター像については、アドルフ・ヘフテが著書『コッホレウスのルター注解の呪文に縛られたカトリックのルター像』(1943)の中で、16世紀のコッホレウスの偏見に満ちたルター像が無批判に受け入れられているという。コッホレウスは1549年の『マルティン・ルターの行為と著作についての注解』で、憎悪に満ちたルター伝を書き、これが、のちのカトリックのルター像になったという。
しかし、逆を考えれば、日本では、これまでカトリックのルター批判は余り紹介されてこなかったのである。公平に考えれば、これもまた問題があるのではないかとも思う。近代日本そして現代においても、キリスト教出版はプロテスタントの方が国民に浸透していると思うが、世界の現実はプロテスタントだけがキリスト教ではないからである。

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