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2006年1月31日 (火)

終末の預言

イスラエルの建国が終末の預言の一部であるということは、アメリカの根本主義的キリスト教の中では一般的に語られていることであろう。しかし、日本では、あの地域の紛争に関しては連日のように報道されているのだが、同盟国における、イスラエルに関するキリスト教的解釈は、ほとんど知られていない。
今は、旧約聖書に登場するような預言者というものはいない。聖書はもう新たに書かれないからだ。
その預言者たちは、来るべき歴史について語ったと同時に、歴史の解釈も行った。時のしるしを告げたと同時に、時の意味を教えた。イスラエルの人々の苦痛がどこから来るのか、また何故であるか、原因と理由を明らかにした。
今、中東に苦痛がある。その苦痛を誰かが解明しなければいけないのではないか。聖書による議論がアメリカにはあるかも知れないが、日本にはない。

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コメント

イスラエル建国と終末論との関係を探る意識もあろうが、別の終末意識もあると思う。
「ヨハネは終末を歴史の果てに来るものとは考えない。人がイエスに出会い、あるいは彼を信じ、あるいは彼を拒否するところ、そこにはすでに終末が現在となっているのである」(『キリスト教概論』浅野順一編)
ウェスレーの衣鉢を継ぐ伝道者たちは、この意識に生きた人たちなのだろう。ビリー・グラハムとか、オズワルド・J・スミスとか。前者よりも後者の著書の方が迫力を感じた。

投稿: | 2006年2月 3日 (金) 20時15分

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