« 日米関係 | トップページ | 転職 »

2006年1月 6日 (金)

日本の聖地

日本の聖地は長崎である。キリシタン殉教の地であり、原爆が投下された地でもある。もちろん、原爆は広島にも投下されており、そちらの方が世界的には知られている。
原爆投下に関しては、米国の人たちの声に、少し合点できないものを感じる。戦争を早く終わらせたかった、あれがなければ米国人にもっと多くの犠牲者が出た、など、そんな声だけが聞こえてくる。しかし、それだけというのが、どうも合点できない。いや、時代が変われば、別の声も聞こえてくるかも知れない。
なぜ、原爆が二個所に投下されたのか。それは偶然であろう。人の側に何か特別の意味があるとは思えない。しかし、象徴的に解釈してもいいのではないか。広島へは日本軍国主義への鉄槌、では長崎へは、どんな意味があるのか。まだ、誰も語っていない。
長崎は、遠い昔、日本に鎖国へ向かう政策の始まった悲劇の地、その鎖国政策の誤りが何世紀もへて悲劇的結果を招いたのだと解釈することもできる。しかし、その地は同時に、日本が西洋文明に接し、鎖国の中でも窓を開いてきた所である。その文明は遠く、米国人たちが脱出してきた魂の故郷でもある。それは長崎に届いた西洋が、米国人たちの古い故郷である西洋中世のそれであるからだ。
時代が変わって、米国人たちが長崎に出会う時、そこに、あるいは「ふるさと」を見出すかも知れない。その時、日本軍国主義への鉄槌とは違った感情が芽生えるのではないだろうか。そして、日本は長崎から、現在、米国が担っている世界文明の流れを受け継ぐことになるのかも知れない。以上は空想である。

|

« 日米関係 | トップページ | 転職 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104898/8031124

この記事へのトラックバック一覧です: 日本の聖地:

« 日米関係 | トップページ | 転職 »