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2006年1月12日 (木)

家族

私の生まれた家は、どうも戦火で消失したらしい。記憶に残っているのは木造二階建ての家である。
私の父は、私が1歳になる前、フィリピンで戦死した。ただ写真で、その姿を知るだけで、会ったことはない。いや、母が私を背負って、麻布の連隊にいた父に面会したのだと言っていた。もちろん、私にその記憶はない。
父の葬儀の写真に小さかった私が写っている。私は左端に一人で座っている。その写真に写っている時計の位置を見て、この家で葬儀があったのだと知った。しかし、記憶がない。
この家の二階に住み込みの職人さんが一人住んでいた。よく二人で将棋をした。祖父母と母と私は1階にいたのだろうが、これも余り記憶がない。
そのうちに、家のすぐ前に新しい二階建てが建った。私は祖父母と一緒に新築の家の住人となった。やがて母は再婚し、弟が二人生まれた。こうして、一つの敷地に二つの家屋が出来て、家族も何か二つになったようだった。母の家族は別の家族に思えた。
私は老人たちの環境の中の子になった。祖父との心の交流は余りなかった。ただ病気で6畳の部屋に寝ていた時、祖父から芥川龍之介の本をプレゼントしてもらったことがあったが、余り会話はなかった。医師が1日に2回も往診に来たことがあった。そんな時、何か自分の意識が天井の方に移ったように感じたこともあった。臨死体験だったのかどうかは知らない。
この部屋で、クリスマスの時、枕元にプレゼントが置いてあった。小学校低学年の時、何度か、クリスマスの思い出は、枕元に何があるかという期待感に溢れていた。
幼稚園の園児だった時、他の園児とちょっとした争いがあり、私は幼稚園に行きたくなかった。しかし、祖母は私を背負い、無理にも連れて行こうとした。頑固なところがあった。夕食なども、私は、いつも祖父母の中でとった。ときに祖母は何か気に入らないところがあったようで、祖父に食ってかかり、茶碗を庭に投げた。気性の激しいところも持ち合わせていた。そんな祖母だったが、晩年、私がたまたま家に帰ると、やさしくなっていた。「私と一緒に住みたい」とも言ったので、驚いた。何か、実家では、いづらいところがあったのだろうか。その時の祖母の顔が忘れられないでいる。やがて、病で倒れ、1か月ばかり病床にあり、亡くなった。臨終の床に私はいなかった。
今は、祖父母も母も母の再婚の父もいない。亡くなってみると、みな懐かしい人たちばかりだ。

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