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2006年1月 1日 (日)

子供を産むこと

子供が少なくなると社会保障とか、いろいろ問題が起きてくるので、子供が多くなるようにと願い、政策立案が行われている。国家のために子供が必要だというのである。
しかし、子供の永遠の運命はどうなのだろうか。自分の子供は、死後、救われるのか、滅びるのか、そんなことを考えた時、簡単に子供をつくることはできなくなってしまう。
生きているうちに、魂に救いを与えられなければ、永遠に失われてしまう。死後、第二の機会はない。それは恐ろしいことである。そんな「かけ」を子供を産む人たちは行っている。
人が生まれると喜び、死ぬと悲しむ。しかし、生まれるとはどういうことか、死ぬとはどういうことか。そのことが分からないで、子供を産むことは無責任ではないのか。
もちろん、救いとか悟りとか、第二の誕生とか、そんな宗教的な要請など意に介さない人たちもいるだろう。しかし、第二の誕生を経験してしまった人にとっては、自分が生のきっかけを与えてしまった他者の魂の行方が気がかりなのである。ここにも、子供を産むことに躊躇してしまう理由の一つがある。

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