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2006年1月12日 (木)

血筋

家族とは血筋による共同体である。遺伝子などによって、お互いに近さを感じることもできる。相続がからむ時、争いが起きることがある。男性が女性の家に入る時には、婚姻と同時に女性の親との養子縁組もしておかないと、のちになって、財産がある場合など、相続問題が起きて、もめるかも知れない。
また血筋によって先祖ともつながることができる。傑出した先祖を持つ人たちは、それを誇ることも出来るだろう。また、その逆もありうるだろう。
旧約聖書の世界では、この血筋が重んじられている。マタイ福音書の冒頭は系図である。血筋を問題にしているのだ。しかし、新約聖書の世界では、血筋が第一義の問題でなくなっている。ヨハネは、「神の子」の誕生の過程について、「それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生まれたのである」(ヨハネ1・13)といっている。イエスも、「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。」(マタイ10・37)と言っている。血縁共同体に対する挑戦である。ここに世界に開かれた共同体があるのではないだろうか。
大切なのは、血縁共同体の単純な排除ではない。それとは別の共同体もあり、現在、存在していることを知り、その中での血縁の位置を見直すこと、相対化することだ。血縁を民族と換えてもいい。日本人とは日本民族のことであり、世界の中では非常に特殊に存在と思う。その民族性を生かすためには、どこかで世界性とか普遍性を考えなければならない。このバランスを考えることが、日本のためでもあり、世界平和のためでもある。

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