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2006年1月26日 (木)

自由の履き違い

母とは24年間、同じ場所で生活した。その後、私の放浪・漂泊の人生が始まった。望んだことではなかったのだが、そうなってしまった。
大正生まれの母は、戦後の自由な時代に自由な生き方をする人たちに対して、よく「自由の履き違い」という言葉を使っていた。違和感を感じたのかも知れない。詳しい説明はせずに、その言葉をよく使っていた。
規制緩和で自由な社会が目指されている。しかし、人は、あるいはその中で破滅に向かっているのかも知れない。そんな事件が立て続けに起こった。
今の時代にあって、外側から道徳を押し付けることはできないだろう。であれば、内発的な高い文化を創造して、自由が破滅に向かうことを阻止する以外、道はないかも知れない。恐らく、こんな知恵は、今、誰もが持っているのだろうと思う。NHKの中にも、そんな意識があるように思う。その意味で、私はNHKに期待している。

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コメント

自由のはき違えをしないことは重要である。しかし、問題は、宗教現象について、自分の解釈を勝手に行って良いと思っている者がいることである。基本的に、宗教のテキストは、そのテキストを受け継いだ教団の者達が真摯にテキストを護持しながら、丁寧に読んできたのであり、その見解を無視して、自分の解釈をして良いと思っている者は、「自由のはき違え」をしている。もちろん、私が誰のことを言っているかは、言わなくても良いと思う。

規制緩和されて、誰でもネットを使って自由に情報を発信できるようになった。しかし、おかげで何の裏打ちもなく自分の我見で宗教現象を解釈し、いかにも正しいと言っている者がいる。宗教は我々人間の根底で、我々の存在を規定するほど、非常に重要なことだ。もし、そこが自由気ままに解釈された場合、我々は破滅するだろう。

このように書き込むことも、自由の破滅の阻止である。

投稿: ワンクリック | 2006年1月26日 (木) 21時16分

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