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2006年1月29日 (日)

授業への不満

昭和40年代の中ごろに起きた大学紛争の時、学生たちは静かに授業を受ける心の余裕を失っていた。彼らは校舎の封鎖をしてまで、自分たちの気持ちを知ってもらいたかった。だれかが、その気持ちを受け止めることができれば、別の展開もあったのかも知れないが、そんな人はいなかった。学校体制に対する不満があれば退学すればいいようなものの、そういうわけにもいかず、極端な行動に走らせた。
授業というものは、受ける側の関心により、価値判断がされるものである。今では、受ける側、学生たちに、自分の求める授業の選択が、以前よりも広がっていると思う。それはいい。しかし、同時に、自分の関心を自分で自覚することが、その前提としてある。高校時代までは、大学受験などで、自分の関心のままに、というわけにはいかないだろうが、大学に入ったら、まさに、自分の関心を自分で知ることが問われるのである。自分に合わない授業はやめて、他の方向を模索した方がよい。カール・ヤスパースは著書『哲学的自伝』の中で、当時の学問的環境に合わない自分について、こう言っている。
「私の眼にうつったところによれば、職業哲学者たる教授連が説く講壇哲学は、決して本来の哲学ではなく、科学たろうとの要求をもってする、われわれの生きることにとって重要ならざる物事の論究に、例外なく尽きるものでありました」
あの大学紛争は、違法行為、破壊活動などあり、経験者たちの多くに心の傷を残したが、同時に真剣になって生きることを問うた時代でもあったのだ、と思う。

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