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2006年2月 1日 (水)

内村鑑三の信仰

『内村鑑三日記書簡全集(1)』に、こんな言葉があります。
「歓喜の極は歓喜の涙である。そうして、歓喜の涙は、苦痛が歓喜に化する時に流る」
こんな言葉を読むと、心が震えます。ベートーベンにも、同じような言葉がありました。しかし、内村の言葉の方が余韻が残ると思います。口語でなく、文語の格調の高さといったものでしょうか。こんな言葉は彼の著書にはたくさんあります。
また、同じ本には、こんな言葉もあります。
「自分はいわゆるカルビン主義教会に属するものではないが、信仰の根本においてカルビン主義者であることは争われない」
カルビン主義信仰の中にはプロテスタント信仰の徹底という自負を感じますが、内村には宗教改革の徹底という思いがあって、両者は触れ合うところがあるのでしょう。
私はプロテスタントの本を長く読んできました。特に内村の本を、です。信仰を考えさせてくれました。彼は、キリスト教とは何かを考える上で、近代日本のキリスト者の中では最重要人物であると、今でも思っています。キリスト教が近代において、教派となった時、教派の主張が、もろに飛び込んできます。それらは互いに批判しあっているのですが、対話で相互理解が深まればと、思います。

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