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2006年2月 9日 (木)

中世の性格

「神中心」とか「信仰」という言葉で、西洋中世を表現した本を見て、少し違うのではないかと思った。ルネサンス以降の近世は人間中心だ。であれば、その逆の中世は「神中心」なのだという理解があるのだろう。しかし、近世は宗教改革の歴史でもあり、そちらは神中心である。

中世は神中心と人間中心の妥協の時代なのではないかと、私は思っていた。実際、そんな認識は珍しくはない。

しかし、それでも、中世は全体として神・信仰を考えないではおれない時代であった。それは人間として死を考えないではおれない、という意味でもある。そして、「新しき中世」が、そんな関心を表明し、みなが考え、人生の質を高められる時代であれば、そんな時代はみなが待望するのではないかと思った。これは人間の深い欲求に根ざしている。一宗教・宗派の問題ではなく、人間みんなの問題なのだ。そういう「中世」は、今の日本でも多くの人の関心事になっていると思う。共鳴する人は多いのである。

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コメント

「教会を神の国と同一視し、教会の歴史的観念を、神の国の終末的観念と同一視することは、聖アウグスチヌスに由来する」(『奴隷と自由』ベルジャーエフ著)という。確かに、ドナティスト論争の中では、そんな歴史的中世の性格を垣間見ることもできる。しかし、「神の国」という著書の歴史観は中世よりも近世を予見しているようにも思える。宗教改革者たちが、彼のペラギウス論争を重視して、彼の権威に訴えたのは、彼がカトリック教会の聖人である限り、意味のあることであったろうと思う。

投稿: | 2006年2月 9日 (木) 18時52分

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