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2006年2月25日 (土)

デカルト

デカルトの「我思う、故に我あり」という言葉を知ったのは小学校の5年か6年の時だった。東京慈恵医科大学の家庭教師の先生が教えてくれた。しかし、その言葉が、どんな影響を持つ言葉であるかは当時は知らなかった。

その言葉は、近代の合言葉のようにみなされたことを後日、知った。その果てが、明治の知識人が苦しんだ「近代的自我」なのかも知れない。

しかし、このような洞察はアウグスチヌスにもあったのである。自我というものを、アウグスチヌスは神に関係づけたので、近代の「顕在的原点」とはならなかった。しかし、その洞察があったということは、近代の「潜在的原点」とはなったかも知れない。この点でも、アウグスチヌスは、近代を予想し、用意した人物、あるいは近代においても、その源流を尋ねていく時、魅力ある人物といえるのかも知れない。

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