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2006年2月28日 (火)

心の強化

中学生になり、運動部に入部した。1年の時、柔道、バスケットをやり、中2に時にサッカーをやった。サッカーは高校1年か2年までやった。高校1年の時、試合で怪我をして、活動から遠ざかった。

運動を始めた目的は体を強くすることではなくて、心を強くすることであった。クラブ活動を始めてからは、いつの間にか、その当初の目的を見失った。心は孤独の中を、さまよい始めた。そんな時に回心の瞬間が来た。そして半年ほどして挫折の瞬間も来た。この挫折の瞬間がなかったなら、私の人生はもっと実りあるものとなったはずである。しかし、それは無視することも、それ以前に戻すこともできなかった。

心を強くすることで、私は「不屈」と言う言葉に惹かれていた。不屈の精神の人になりたかった。しかし、今、心の強さとは、不屈と言う言葉が、ともすれば指し示すような、逆境をものともしない鋼鉄のような強さではなく、柳のような柔軟さも、また心の強さではないかと思うようになった。

心は感動を糧として強くなるのである。日常生活で感動を追い求めていけば、心はいつの間にか強くなっているのである。

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コメント

キリスト教信仰の中には、地獄というものがある。ここに落ちたら、絶対に助からないという。

そして、救いというものが何かは、そのスタートについては、だいたい分かっている。そのスタートを切っていない人たちは救いに入っていないだろう。その人たちの将来を思う時、憂いがある。その憂いは、その人たちも同じ創造主であり、全知全能であり、善である神により、創造されたという説明に直面して当惑する。

そのような論理を、果たして了解できるであろうか。挫折は問題提起でもある。だいたい、歴史は、この問題を答えていない。神秘だという。人の思いを超えているという。問題が大きすぎるのかも知れない。確かにそうだ。

賀川豊彦は宇宙悪を研究した。その成果が本となったのは晩年である。弁神論、神義論に関して、一生の課題にしてもいいのである。そんな問題ではなかったかと、今にして思う。

簡単に結論を出してはいけない問題も、ある。

投稿: | 2006年2月28日 (火) 13時19分

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