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2006年2月22日 (水)

回心

以前は根本主義者と言われていた人たちは、今は原理主義者と言われているようだ。しかし、「こちこち」という根本主義者の印象を嫌いつつも、同じ信仰ということで福音主義者という別の名も使われていた。米国では、ビリー・グラハムという人物が有名で、何度も来日した。旧・両国国技館で集会があり、10代の時、行ったことがあった。その後、日本武道館や後楽園球場で何度も伝道集会を行った。両方とも行ったことがある。日本武道館では、彼が姿を現すと、何かが起きるような雰囲気があった。異常な興奮が起きたことを今でも覚えている。

今の米国の原理主義者たちは強調点が変わったのかも知れない。以前は回心に全勢力を集中していた。宗教の平和共存を大切に思う人たちにとっては困ったことかも知れない。要するに改宗運動でもある。そのためユダヤ教のイスラエルとかイスラム教国では、そういう運動は警戒されている。ロシアでは、カトリックの改宗運動をロシア正教会の総主教が嫌っていた。

グラハム氏は『世界は燃えている』という著書で「回心の過程において、すべての人が同種類の経験をするのではありません」と言っている。よく意味が分からない。ペンテコステ教会では、聖霊を受けた証しとして異言という、人間の言語でない言葉を語るという。しかし、そうでない回心者もいるだろう。

ともかく、回心、それも明確な回心が、その後のその人の人生を明確に変えるということについては、パウロの場合だけではないらしい。グラハム氏は、こうも言っている。

「前世紀と今世紀の変わり目に、心理学の分野における指導者エドウィン・スターバック教授は次のように述べています。キリスト者の働きびとは、概して活力にあふれた劇的な回心をした人たちである、と。換言すれば、彼らは、回心とは何かについて明確な概念を持っていたのです。彼らはそれを経験していたのです」。前世紀とは19世紀のことである。

回心は強制はされてはならないものである。米国の伝道者たちの言葉には、聴く者たちの恐怖感をあおるものがあるかも知れない。宗教の宣教活動に、それがよいのかどうか、分からないが、人が自分の自己実現にとって、なくてならない知識を与えられることは、重要なことである、と思う。信じるも、信じないも、決めるのは自分であり、他人ではない。

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コメント

回心は第二の誕生である。それで終わりではない。そのあと成長しなければならない。それも大切である。誕生は成長を約束しない。成長にも配慮しなければならない。
一方、回心は救いとも言われる。その一面は認めるとしても、成長という自己実現は、ある意味で、その時からスタートするのである。成長を軽視してはいけない。健全な成長がないと悲劇が待っている。

投稿: | 2006年2月26日 (日) 13時22分

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