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2006年2月 9日 (木)

小津監督の墓

ozu 北鎌倉の円覚寺境内にある小津安二郎監督の墓を訪ねたことがあった。墓地の中では、一番高いところにあった。「無」の一字だけの墓であった(写真)。無の字の横には小さな字で、「円覚宗源」の文字があった。朝比奈宗源という僧侶の書いたものという意味なのだろう。

墓は昭和39年3月20日に建立されたものだ。小津監督(戒名・曇華院達道常姿居士)は昭和38年12月12日に享年61歳(満60歳)で亡くなったのだから、その翌年に作られたものだ。墓石の横には、こんな文字もあった。

曇華院達道常姿居士
葬儀香語
君元天性仏心人
深捜庶民美興真
縁尽間浮不住
去遊三会龍華春
   喝
円覚宗源

「間」という字が、それでいいのか、少し判読できなかった。

小津監督の墓石に水をやり、しばし、その前で祈りをささげた。

この墓の近くに木下恵介監督の墓もあった。こちらは、ごく普通の墓であり、故人が有名であったことを考えると、あまりにも地味なものであった。木下監督は平成10年12月30日に死去、享年86歳(満85歳であろう)であった。戒名は、「明鏡院義道恵風居士」。

その下には、「正力家之墓」があった。昭和38年4月29日、正力松太郎氏によって作られたものだ。

円覚寺は、「臨済宗大本山」で、「北条時宗公御廟所」でもある。その境内には、国の史跡に指定されている僧堂、庭園、文化財など貴重なものがある。そのひとつに帰源院がある。ここで、夏目漱石が明治27年12月下旬から翌28年1月7日まで、参禅のために滞在した。その模様は、小説「門」「夢十夜・第二夜」に描写されている。また、島崎藤村は、明治26年夏から秋にかけて、1か月滞在、「春」「桜の実の熟する時むに、その経験が書かれている。

円覚寺訪問のあと、逗子に行った。少年時代の記憶を探そうと思った。

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コメント

小津安二郎監督のルーツは、禅や俳句にあると指摘する人もいる(朝日新聞2003年12月21日)。

投稿: | 2006年2月 9日 (木) 10時22分

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