« 成功の秘訣 | トップページ | 小泉改革 »

2006年2月 2日 (木)

ドストエフスキー

ドストエフスキーはわれわれに解決を示したのだろうか。あるいは問題提起したのだろうか。後者かも知れない。
「私が自分についていえるのは、私は時代の児であり、不信と懐疑の児であるということです。これまでもそうでしたし、これからも墓場へゆくまできっとそうでしょう。この信仰への渇望の代償として私はこれまでどんなに多くの苦痛をなめ、また今もなめつつあることでしょう」(『ドストエフスキー』E.H.カー著、筑摩叢書106、266頁)
われわれは、その問題提起の大きさに驚いたのである。

|

« 成功の秘訣 | トップページ | 小泉改革 »

コメント

「日本人のドストエフスキーへの傾倒というものも、その否定的精神の巨大さ深遠さに打たれてのことでした。いくら深刻派の日本人でも、自分がドストエフスキーよりニヒルだとか懐疑的だとか思った者はあるまいと思うのです。そういう意味で内省的な知識人はみんなドストエフスキーには帽子を脱がざるをえなかった」(『現代日本のキリスト教』)
いつのまにか、こういう精神は日本人の中に見られなくなったかのようです。

投稿: | 2006年2月 2日 (木) 21時53分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104898/8466232

この記事へのトラックバック一覧です: ドストエフスキー:

« 成功の秘訣 | トップページ | 小泉改革 »