« 哲学者の任務 | トップページ | 規制緩和 »

2006年2月17日 (金)

信仰義認

ウェスレーは『説教』の中で、こんなことを言っている。

「新生と義認とは、同一の事柄を表示する異なった表現にすぎないのである。しかし、これら両者は、時に関しては、共に結合しているが、まったく別個の性質のものである」

教会史の観点からの西洋近世の終焉の合言葉は「信仰義認」であり、この合意が達成されたことで、教会の分裂は修復の道に入ったと思う。その義認について、語られている。

義認とは神の側の判断であるから、人には分からないはずである。しかし、人の体験としては新生がある。人の側で分かるのは信仰によって新生したことである。この新生の体験によって、神の側での義認があったと考えることができるのである。だから、信仰義認というけれど、信仰と義認の間に新生を入れれば、理解しやすいと思う。

|

« 哲学者の任務 | トップページ | 規制緩和 »

コメント

ヘンリー・シーセンは『組織神学』の中で、「義認とは、神がキリストを信じる者を義と認める、その神の行為であると定義することができよう」と言っています。また、こんなことも言っています。
「回心、義認、新生、キリストとの結合、子とされることは、みな同時に起こるのであるから、時間的な順序はもちろんないわけである。聖化のみが一つの事件であると同時に、過程でもある」
聖化のスタートが新生なのでしょう。そして、時間が経つ中で、その完成を目指して進む、その過程を指す言葉が聖化なのでしょう。その意味では漸進的と言えると思います。

投稿: | 2006年2月17日 (金) 20時32分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104898/8706608

この記事へのトラックバック一覧です: 信仰義認:

« 哲学者の任務 | トップページ | 規制緩和 »