« 待ち組 | トップページ | 「居直った人」 »

2006年2月 8日 (水)

悪の起源

天災や人災が起きる。そのたびに、原因の徹底究明、再発防止という言葉が繰り返し語られてきた。何度、聞いたことだろうか。問われているのは悪の起源である。しかし、究極的には分からないのではないだろうか。五木さんが『大河の一滴』で、十字架にかかることがキリスト誕生の前提であるので、裏切りのユダには役割があったとして、それに着目すべきと言っている。悪がなければ善もない。だから、悪も善になりうるのだろうか。

「悪の起源について、神は悪をゆるし給うたかどうか、そしてゆるし給うたとするならば、それはなぜか、さらにそればかりでなく、なにゆえ神は御みずから悪をお造りになったのか、というような問題について頭を悩ますのは、まったく余計な仕事といわなければなりません。そのようなことについては、絶対に理論的な確信が成立するようなことはないでしょう。肝心なことは、自分自身が悪をまぬかれることができるということ、そしてそのためにはいかにすればよいかということを知ることにほかなりません」
(『同情と信仰 ヒルティ著作集7』白水社、324頁)

悪の究極的起源については、人間には分からないところがあると思います。カルビンの二重予定は、一見、神の公平さを疑わせます。しかし、神の意思とは、それを遡る原因がない、という意味が込められているのであれば、現実世界を見て、そういうものとして受け入れるしかないのかも知れません。現実には信じる人と信じない人がいるのですから。もちろん、二重予定に反対の人たちもいます。

|

« 待ち組 | トップページ | 「居直った人」 »

コメント

神とは、その人の良心に深く関係しているのだと思う。その意味で、神を否定することは、自分の良心を否定することで、危険なことである。それは自分のアイデンティティを否定することにつながるからである。

哲学者の神であれば、議論してもいいし、否定してもいい。否定の理由もたくさんあるに違いない。しかし、自分の根本的な関心事の中に現れてくる声に関しては、注意しないといけないと思う。それは自分の全人生をかけるに値する方向を示しているのだから。

投稿: | 2006年2月 8日 (水) 17時39分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104898/8565193

この記事へのトラックバック一覧です: 悪の起源:

« 待ち組 | トップページ | 「居直った人」 »