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2006年2月19日 (日)

定年後

青年に 孔子教えて 世に出して
 勤め終えなば 老子に遊ぶ

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コメント

おおっ、老子ですか。中庸についてどのようにお考えですか?私はとても大事な思想だと思っています。キリスト教だと一神教ならではの排他的なところがあると思うのですが、他を認める、というのは中庸に通じるものがありますでしょうか?

投稿: 草野乃局 | 2006年2月19日 (日) 19時06分

中庸を読んだことがありません。他を認めるということは、共感の中で起きることと思いますが、他宗教に共感することは、よくあります。

老子に関しては、これまで余り関心なかったのですが、『清貧の思想』の著者・中野孝次さんが、別の著書で、加島祥造さんのこと、老子のことを引用して評価されていました。そこで、書店で文庫『老子と暮らす 智恵と自由のシンプルライフ』(加島祥造著、光文社)を買い、読みましたが、共感するところは多く、異論はほとんどなかったです。

キリスト教の一神教はユダヤ教の一神教に排斥されたものでした。旧約聖書は同じに信じていても、別の宗教になってしまっています。しかし、世界人口を60億とすると、カトリックとイスラム教だけで約20億ですから、3分の1くらいになっています。日本が何かの文化を世界に発信するのであれば、こういう現実をおさえなければと思います。

一神教の排他的性格というものは、それぞれ、その信徒とか民族に適用されるものと思います。別の信徒とか民族の場合に無理に適用させるべきものではないでしょう。信仰の強制というのは、宗教の性格上、なじまないと思います。すべての宗教にいえることは、「良心に従う」ということでしょうか。

投稿: | 2006年2月20日 (月) 08時27分

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