« 遊び心 | トップページ | 愛と執着 »

2006年3月 7日 (火)

憎しみ

人は権利侵害されたということで、他人に憎しみを感じることがある。しかし、神には人によって権利を侵害されることはないであろう。神は人ではないから、失うものはないのである。であれば、神は、人に対して憎しみを感じないのかもしれない。

人は自分に降りかかった災難に対して、何かの罰かも知れないと思うことがある。神の憎しみによるものかも知れないと思うことで、その憎しみの思いをなだめるために、古来、宗教儀式があった。しかし、神は人を憎む理由がないのであれば、その思いが原因ではないのであろう。人の人生で災難をこうむるのは、矯正的理由、教育的理由によるのだろうか。

人の成長は、神に向かって伸びていくことである。しかし、伸びていこうという彼方に、人格的な憎しみを感じるとすれば、伸びていくことができない。しかし、神は人を憎んではいないのである。災難を受けても、安心して、神に向かって伸びていくことが許されているのである。こういうことを子どもたちに教えないで、教育はできないと思う。

|

« 遊び心 | トップページ | 愛と執着 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104898/8983154

この記事へのトラックバック一覧です: 憎しみ:

« 遊び心 | トップページ | 愛と執着 »