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2006年3月31日 (金)

信仰義認

カトリック教会とルーテル教会が「信仰義認」に関する共同宣言を1999年10月に出したことは大きな出来事であったと思う。ここが、私の時代区分における「新しき中世」の原点である。
作家・五木寛之さんは親鸞をよく学んでおられるが、『人生の目的』の中で、この信仰義認の共同宣言にも触れておられ、親鸞の信仰との比較をしながら分かりやすく、的確な説明をされている。当方も、全くその通りと思う。
『人生の目的』は文庫本で手軽に入手できるのである。大切な事柄が、仏教研究の作家を通して、こうして広まっていくことはありがたいことである。そう思っているキリスト者も多いのではないだろうか。

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コメント

最近は、なぜか五木寛之さんの本を読むことが多い。宗教に関心を持つ作家、小説を書く僧侶、そんな人が目に付く。
遠藤周作さんが宗教問題を追求していったように、五木さんにも期待したい。
ドイツ観念論哲学は、宗教(キリスト教)問題を扱っていたので、惹かれるものがあったのだろう。哲学も文学も、宗教を扱わねば、その本来の役目を果たせないのだろう。「神学の侍女としての哲学」といわれたスコラ哲学だが、それでよいのだろうと思う。もっとも、神学のあり方が問われなければならないけれど。

投稿: | 2006年3月31日 (金) 13時39分

五木さんは伝道者である、と思う。作家なのだが、伝道に心が向いている。

その本を読んでいて、相対世界の価値を絶対にしない、相対に戻すことに力点を置かれている。それはいいのです。しかし、それは同時に、超越の視点があり、その視点において可能なのではないだろうか、と思う時がある。超越の視点、その超越性には、余り触れておられないように思う。絶対矛盾的自己同一の自己は、相対矛盾を超えているのだと思う。

五木さんは、相対矛盾を自覚させようとされている。その努力は貴重だ。そこで、それが可能であるのは、相対矛盾を超える自己の視点があるからであり、それは超越の次元なのではないか、と私は思うのだが。

投稿: | 2006年4月 4日 (火) 11時20分

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