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2006年3月20日 (月)

仏になろう

最近、梅原猛さんが仏のような手をした姿が新聞に載っています。授業シリーズの第3弾として『仏になろう』という本をお書きになったとのことです。

「仏教の理想は仏になる、あるいは仏になろうとすることなんですね」と梅原さんは言います。現代の仏教が仏になることを説かないことへの反省があるようです。「仏教を復興させるためには、仏教というのは仏に近づくことなんだという理念を立てることが必要だと思うのです」とも言います。

菩薩という言葉があります。「さとりを求めて修行する人」という意味です。キリスト教的に言えば、求道者のことかも知れません。教会では洗礼を受ける前は求道者と呼ばれるでしょう。中には、「救われて」、教会生活をしていて、求道者と呼ばれている人は、少し、ちぐはぐな思いがするかも知れません。

キリスト教と仏教との比較を続けます。では仏は何に該当するのかと思いました。信徒なんだろうか、とも思いました。プロテスタントの伝道の中では「救われた」と現在完了形で、宗教体験を言い表すことがあります。ある意味では「悟っちゃった」ということかも知れません。であれば、その時、「仏になっちゃった」という意味かも知れません。

刑事ものでは、ホトケは死者を意味します。確かに、「救われた」という宗教体験には死の体験が含まれています。死と生は、弁証法的に関係しあっているようです。ここでは、定義をきちんとしないと、混乱するでしょう。

キリスト教での宣教というのは、仏教的に言えば、「仏になろう」という呼びかけなのだと思います。ただ、ここで少し、凄みがきくのは、仏にならないとどうなるか、という点に関して、それでもいいよ、とは言っていないということかも知れません。

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