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2006年4月21日 (金)

無教会の位置

『創文』4月号に、赤江達也氏(日本学術振興会特別研究員/社会学専攻)が「ゼクテを超える無教会-近代の物語群と日本キリスト教-」という題の寄稿をされている。面白かった。
無教会の位置づけについては、「結社としてのゼクテ」の位置づけがされてきたが、それを超える要素があるという指摘である。そこで「紙上の教会」という概念を紹介している。しかし、内村自身、女性宣教師から無教会は「分派」という指摘を受けて、それに反論した事実がある。
無教会は第二の宗教改革という自覚があったと思うが、その近代の先端にあって、近代を超える視野を開いた一面があった思う。プロテスタンティズムの徹底を叫び、その核心(信仰義認)に留まりつつ、その限界も了解していた。内村には、そんな言葉があると思う。

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コメント

無教会の礼拝に出席したとき、講師の方が「無教会は無境界」と言われたのが印象的でした。
個人的に無教会の在り方には好感を持っております。

投稿: 草野乃局 | 2006年4月21日 (金) 21時55分

「無教会は無境界」。この言葉を最初に聞いたのは、東京・後楽園会館で開催された無教会全国集会においてでした。どなたかが言われましたが、余り深く考えてみませんでした。無教会の魅力は、私にとっては今でも内村鑑三の魅力であり、その本を読んだ時の感想の中にあります。

投稿: | 2006年4月23日 (日) 16時35分

無教会は、日本的伝統のある部分に親近感を覚える人たちには近づきやすい教えでしょうが、世界に目を向けた時には、説明が必要になると思います。無教会への思いで、こんな指摘をしていたのは、矢代静一さんでしたが、そういう一面もありますね。その点では、矢代さんの属していたローマ・カトリック教会は世界的なので、理解しやすい教えといえます。

投稿: | 2006年4月26日 (水) 17時55分

こんにちは。一つお伺いしてよろしいでしょうか。『創文』4月号とは、創文社のPR誌の創文のことでしょうか。ご教示頂ければ幸いです。また、どうやったら入手できるか等アドバイス頂ければ嬉しく思います。無教会のクリスチャンとして「ゼクテを超える無教会-近代の物語群と日本キリスト教-」に少し興味があります。よろしくお願い致します。

ところで、「無教会は無境界」との言葉は、うろおぼえなのですが、たぶん政池仁(まさいけ・じん)という伝道者が言い始めた言葉ではないかと思います。政池仁は内村鑑三最晩年の直弟子で、平和運動に熱心な無教会キリスト者として、知られています。1980年後半ごろ召天されたと思います。

投稿: asatosen | 2006年6月 4日 (日) 11時09分

追伸です。恐縮です。無教会主義は日本的とのことについて。無教会主義の集会は、韓国にも複数あります。また、無教会伝道者は台湾伝道を行っていたこともあります。成果の程は知りませんが。

無教会主義は日本的で海外には不向き、という主張はたびたび聞かれます。これは無教会主義についての誤解と、無教会と武士道という名前だけで御自身のイメージを形成された結果ではないかと、少々不安を感じます。

矢内原忠雄、高橋三郎や関根正雄などの著作を読めば(といっても私もほとんど未読なのですが…)、無教会という信仰のあり方は、普遍的であると少しはご理解頂けるのではないかと思います。また、仮に世界的ではないとしても、アジア、特に東アジアでは普遍性を持つのではないでしょうか。

投稿: asatosen | 2006年6月 4日 (日) 11時16分

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