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2006年5月23日 (火)

愛国心

愛国心を教えるということは、学校教育の課題というよりも芸術家の課題なのではないだろうか。美学の出番ということである。美を感じて、よい感情を持つ、愛とはそんなものであろう。愛国心とは、国という美を内包する芸術作品で教えられるものではないのだろうか。教科書で教えられるものではないような気がする。

古事記、日本書紀を読んだことはない。昔は教えられたようだ。日本の神話は、歴史的事実ではないかも知れない。だから、間違ったことを公教育では教えられないということかも知れない。しかし、もちろん問題は別のところにある。戦前回帰を避けるという意味で。それと同時に、別の問題もあるのである。

古事記、日本書紀は、日本人にどういう意味があるのだろうか。それが分からないのである。神話でもいい。それが意味という点で、日本人の自己理解を深化させてくれるのであれば、日本人の自己実現にも資するはずである。この日本人の自己理解に、古事記、日本書紀がどう関わってくるのか、それが分からないのである。もちろん、教えてはくれている。しかし、それは何なんだろう。

聖書は神話かも知れない。しかし、それは人間の自己理解の役に立っている。啓蒙思想家たちが、聖書を利用する時、聖書の眼目は、本当は、そういうことを言うのではなく、別の問いもあるではないかと、疑問が出てくるだろう。その点について、啓蒙思想家も、聖書に訴えるのであれば、信仰への道しるべを作っているといえるかも知れない。

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