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2006年5月17日 (水)

カイン

聖書の創世記によれど、アダムとエバの息子にカインとアベルという兄弟がいた。カインは弟アベルを殺す。その罪の原因はなんだったか。父アダムと母エバによるアベル偏愛はなかったか。また、神の偏愛はなかったか。放送大学の講義で、そんな問いが語られた。もし、あれば、神は、その自分の偏愛による結果としての「罪」の意識化として、カインに「しるし」を与えたのだという。そんな話を、放送大学で、ある教師がしていた。

神の「罪」ということを考えたことはなかった。もちろん、神の正義への問いはある。全知全能という神の修飾語が誤解の原因かも知れない。
二重予定の神は勝手気ままな神にも思える。どうして正義の神、全知全能なのか。こんな問いのどこに解決があるのか。

神を対象化することは、肯定神学の神であれば、思弁的には可能である。しかし、そこで人の正義を立てても、恐らく生活が成り立たないという現実が現れてくるだろうと思う。

カイン物語は、どう解釈するのか、私は知らない。しかし、臨床心理が人間の問題を探求するのであれば、聖書も取り上げなければならない。福音は何も教会での説教でのみ伝えられてはいない。もちろん、放送大学では福音は語らない。その前提としての人間の真実を語ろうとしているのである。しかし、それは、聖書を題材とする限り福音を指し示している。

米国で、政教分離の観点から、公立学校での聖書の授業に反対する人たちの気持ちも分からないわけではない。人は神について考えざるを得ない。そして考えた時、信仰に進む人が現れてくる可能性がある。

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