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2006年5月26日 (金)

対話

対話の場に出て行くということは、自分の個別性が普遍性に耐えられるという自信がなければならない。北朝鮮の個別性は米国が保障して安全といったものではない。米国に、そんなことができるわけがない。北朝鮮は、自分の正義をどのようにして国際社会という普遍性の場でアピールできるのか、それがカギなのである。それがあれば、それが北朝鮮を守るであろう。それが問われているような気がする。

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コメント

体制の護持を、米国に求めているということを聞いて、敗戦まぎわの日本を思った。あの時は、体制という言葉ではなくして、国体と言っていた。その意味でも、北朝鮮は戦前の日本と類似しているように思える。しかし、都市化の波の中で大家族主義を維持することは難しい。それは核家族化するのである。そして、対話という方向は進歩、都市化、核家族化の方向を示している。自由という名のおいて。北朝鮮は、難しい選択を迫られているような気がしている。

投稿: | 2006年5月26日 (金) 03時44分

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