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2006年6月29日 (木)

ヒューマニズム

カトリック思想は、ときに「キリスト教的ヒューマニズム」という言葉で紹介されることがある。しかし、プロテスタントの中では、キリスト教はヒューマニズムではない、と言われる。表面的には対立しているように見える。しかし、そんな場合、内容を調べる必要がある。内容に関しては、そんなに違わない場合もあるのである。

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英国

英国は米国の精神的故郷であろう。ピューリタンの人たちが、なぜ海外移住しなければならなかったのか。

宗教改革者のルターも、カルヴァンも、教皇を反キリストと考えていたのではないだろうか。どこかで、そんな記述を読んだように思う。その時、接触を嫌うようになるだろう。ところで、英国は近世において、キリスト教が国教となり、その中には、この宗教の歴史的伝統を引きずるところも残った。それはカトリック主義であった。その中に、反キリストの香りを感じ、いたたまれなくなったのであろう。

英国が近世において、キリスト教を国教としたことは、大きな意味を持っているかも知れない。国民全体が、キリスト教について考えざるを得ないところに追い込まれたのである。宗教思想、運動が、そこから始まっている。米国もそうだ。

ある意味で、英国は、近世において、中世体制を維持した稀有な国といえるかも知れない。そこから近世の中で脚光を浴びた国となった。英語は英国の言葉である。

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ポストモダン

新中世は 神中心で 対応の
 ポストモダンは 人が中心

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2006年6月28日 (水)

徒然

ご用心
危ないな 危険信号 どこにでも

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2006年6月25日 (日)

伝道不振

救い主 育てる母の 心持て
 伝道不振 ここから打開

宗教の伝道が不振と言われますが、一方で、心理療法などは盛んです。あたかも現代の宗教のようでもあり、そういう指摘をする宗教学者もいます。母は子を産み、育てます。マリアは、救い主を産み、育てたのですが、そういう母の思いを持つところから宗教の再建が可能ではないかと思います。

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宗教の選択

宗教の選択は、その人の人生にとって大きな出来事と思います。その時、どの宗教を選択すべきなのでしょうか。仏教があり、キリスト教があり、それぞれ、立派な人たちが多いと思います。また、仏教もキリスト教も宗派・教派に分かれています。無数にある、それらのうち、どれを選択すればよいのでしょうか。

私は、小さな宗教団体、カルト、分派などは、できたら避けたいと思います。少し危険かも知れないな、と思います。宗教はのめり込んでいく性質があるからです。

できたら、歴史をへた、多くの人たちが加わっている、いろいろな問題に的確に対処できる宗教団体を選択したいと思います。

宗教は宣伝します。それは布教とか伝道とか呼ばれています。その目的は、魂の救いかも知れませんが、救われた人は、結果的には、その宗教団体へ参加することになります。その団体の形の受容です。そこで、その人の人生は、非常に大きな制約を受け、その団体の可能性の中での人生となります。

そう思う時、その団体の人は、布教とか伝道に躊躇するかも知れません。宗教団体に内紛・分裂があっては、外部への活動は出来ません。人は、伝道の言葉と同様に、その言葉を語る団体の全体を知る必要があると思います。その知識は、現代では比較的容易に手に入れることが出来ます。

宗教の選択を急ぐことはありません。しかし、一度選択したら、そこに留まりたいと思います。そういう人生がいいと思います。

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2006年6月24日 (土)

病の意味

病気というものは、病者だけの問題ではない。病者の人間関係における他者の問題でもある。そして、その他者に対する病者のメッセージという意味も含まれている。

その他者に対して甘えたいために病気になる。その他者の自分に対する依存感情を拒否したいために病気になる。そんなメッセージが込められている場合もある、と思う。

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償い

罪には罰が伴う。それで終わりの場合もあるが、終わらない場合もある。それは更生が続く場合である。そこでは償いが必要となる。どんな償いが必要か、それは自分で考えなければならない。

罪とは自由意志でなされるものだ。その前提は、決断の前に立たされるということである。その決断の間違いが罪である。理由は、いろいろあっても、罰の執行の中では、その理由は正しくない、誘惑であったということになる。

ヨナに神の言葉が臨んだ時、ヨナは従順でなかった。それが罪である。その後の彼の人生が、それを語っている。マリアに天使が臨み、救世主の降誕を告げた時、マリアは同意した。それが信仰である。そこから、今のような救済史が始まった。その時の事柄を記している天使祝詞という祈りの中で、その信仰を想起することが、償いになるのではないだろうか。今の私は、そう思っている。

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2006年6月23日 (金)

向学心

程度の高い講義を聞く時、向学心が生まれるのを感じます。放送大学の講義には、そんな内容のものがあります。聞くだけであれば、授業料ただで可能です。恵まれた時代になったものです。

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夢とは神秘的なものでもある。解釈の難しいものもあるが、何となく解釈できるようなものもある。その時、その解釈に従って、生活を整えたらいいのではないだろうか。その中には生涯にわたるような重大なものもある。生き方に立ち止まる時、夢の解釈に従って、少し前進してみるのも、いいのではないか。少し前進したら、次にまた視界が開けて来るだろう。

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神概念

概念というものが、存在者を前提として形成されるものであるとすれば、神は3次元空間には存在しないのだから、神概念といったものはあり得ないのである。

しかし、人は、神とは、こんな存在だと、好んでいう。それもまた、意味のあることであろう。

イエスの教えた祈りの中に「御名が崇められますように」という個所がある。「神が崇められるように」という祈りである。最近は、「御名が聖とされますように」という言葉も使われている。意味が、少し、よく分からない。意味を尋ねたい。祈りの中には、その逆の現実があるという洞察が含まれているのではないだろうか。神が崇められていないという現実。

神とは独裁者や権力者ではないように思う。今、流行の「一神教の神」とは全知全能だから、独裁者、絶対権力者と連想されるかも知れないが、ベルジャーエフは、神は一警官よりも権力を持たない、と言った。人が神と言っているものは、実は偶像かも知れない。

歴史の中の神とは、実は告発されている神かも知れない。地上の悪を取り上げて、なぜ、こんな世界を造ったのかと、神への告発は、満ち満ちているように思う。そんな中で、告発される神が弁明し(説明責任を果たし)、そして人間たちの信頼を得るようにする。そんな過程が進行しますように、そんな意味が、あの祈りの意味なのではないだろうか。政治家が説明責任を果たし、国民の信頼を勝ち得るようにと、そんな事態がよく報道される。神は信頼できるお方なのだ、そういう働きに参加することが、あの祈りの中で求められているように思う。

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2006年6月22日 (木)

明智光秀

NHK大河ドラマ「功名が辻」を毎週見ている。反逆者、謀反人のレッテルを貼られてきた光秀が丁寧に描かれていると思った。そして、これでいいのではないかとも思った。

信長は、初め、キリシタンに好意的であった。その教えを聞いて、やがて、その教えを自分の日本統治のために利用しようとしたのではないか。そこに、失墜の原因があったのではないか。光秀は、信長の暗闇に悩んだ。その苦悩の末の決断が、娘のキリシタン信仰を通して、後世の審判に委ねられることになったのではないか。

光秀の苦悩、娘玉の父擁護など、「功名が辻」は、歴史の真実に新たに光を当てているように思う。

信長における光と影。光に関わった秀吉、影に関わった光秀。ともに歴史を動かした人たちである。

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成功の秘訣

『信念の魔術』(ブリストル著、ダイヤモンド社)という本があった。そこには成功の秘訣が書かれていると思った。今、書店に行けば、この類の本が、所狭しと並んでいる。

成功とは、まずもって自分の成功の意味である。しかし、自分が変わらないで、成功の美酒に酔う、そこに本当の成功があるのだろうか。そのような自分に対する深いニヒリズムが成功によって克服されるのであろうか。

成功の目的は幸福感の達成であろう。その幸福感を得るために、人は成功を求めるのであろう。しかし、成功しても、幸福感を得られない場合もあるのではないだろうか。であれば、一気に、幸福感を求めた方が話が早いのではないだろうか。

人生は、これで行けばよいのだ。これで行けば間違いないのだ。そんな方法を知りたいものだ。その方法を実践するたびに、自分の中に力がみなぎってくる、聖なる動機が形成される、そんな方法はないのだろうか。私は、あると思う。

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アベ・マリア

天使来て 言葉に「はい」と 答えたり
 救いのみわざ ここに始まる

マリアに関する音楽、彫刻、絵画など、西洋には多いです。なぜか。背景には信仰があるのでしょう。

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悪の起源

聖書では、罪によって悪が出てきたという。罪の最初は原罪というもので、サタンが蛇に言わせた誘いに乗ったことが、それである、という。だから、人間の罪の原因は、はっきりしている。しかし、サタンが生まれた原因は不明である。

サタンは、天使が罪を犯してサタンになったのだという。どうして罪を犯したのか。それも、あるいは理由が書かれているかも知れない。でも、善である神の被造物の中に、どうして、神に逆らう意志が生まれてきたのか、それは、どう考えても分からないことである。

しかし、サタンも神ではない。善悪の二神ではない。二神というのは、神概念の矛盾である。善悪二元論とは、現象として、そう見えるだけで、悪という神がいるわけではない。罪の積極性というものは、別のコンテキストでは、善の価値なのだろう。見方の問題があるかも知れない。サタンもまた究極的には神の被造物である。そんなことから、何が見えてくるのだろう。

最近は責任追及が流行っている。追究された責任もまた、一つの結果であり、それを生み出した原因があるはずだ。その原因もまた責任追及されるべきではないのか。まあ、時効で、それはないのである。

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神の死

神の死とは、ニーチェの言葉である。彼は実存主義の思想家ということになっているらしい。実存主義の祖はキルケゴールと言われている。彼は、人はいかにしてキリスト者となるかという問題意識から、実存の思想を語り続けた。だから、彼の実存思想にとって、「神の死」とは、全く思い至らなかったであろう。

神を体験した人にとって、神の死とは、全くナンセンスである。ニーチェはキリスト教の中で思想構築を行っていた。キリスト教にとっての神体験とは、ペンテコステの聖霊降臨の体験が原点であろう。神の死とは、この否定でなければならない。しかし、それに成功した人は一人もいない。ヨブを見よ。パウロを見よ。ある時、突然、神が現れている。そして、人が一変するのである。このような突然変異的な事柄が、キリスト教の歴史にはある。そのような体験が自分にないということをもって、人類の歴史には、そのようなものはないと決めつけてしまっていいものだろうか。

しかし、そのような体験がなく、しかも、キリスト教の勢力に敵意を感じている人がいても不思議はない。そのような人のためには、「神の死」は興味深い言葉であろう。しかし、それもまた人間の領域である。人間の領域は、また神の創造した領域でもある。対話は、常に開かれているのだ。

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2006年6月20日 (火)

自我の成長

自我の成長は、主体性による。では、主体性は、どこから生まれるのだろうか。

自我の所属との関係の中からではないだろうか。自分が何に所属しているのか、その反省の中から自我は所属しているシステムの中に、自らの成長のキーワードを探しているのである。そのキーワードを見出すことが出来れば、それら投企することを通して、主体性は生まれ、自我は成長する。そのキーワードを見出せない時、主体性も生まれない。

我々は自分の所属を考えるべきかも知れない。この限定の探求が主体性のふるさとなのであろう。

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日本人

人は日本に生まれ、日本国籍を得ることで日本人になると思っているかも知れない。確かに、普通の理解では、それで日本人である。そして、そんな人たちが成長していくことが日本人になると理解されているかも知れない。しかし、それとは別の意味で、日本人になるという課題が、そのような日本人にあるのではないだろうか。

日本人になるためには、日本とは何かが問われなければならない。その問いの中に現れてくる日本に対して、投企していくこと、その過程で、人は日本人になるのである。その意味での日本人は、そんなに多くはない。内村鑑三は、そんな数少ない日本人の一人であった。

それでは、そんな日本とは何か。それは、その人自身で問わなければならない。その人の関わりの中で答えは変わってくるだろう。しかし、その答えは、それこそ公表されなければならない。なぜなら、それは私的なことではなく、公的なことであるからである。

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2006年6月18日 (日)

祈り

祈りにて 働きかけを 望むなら
 呼気の中にて 行うがよい

祈りは呼吸のようなものです。呼吸は呼気と吸気と繰り返しです。吸気の中で祈ることはできません。呼気の中で、一つの呼気の時間に一つだけ祈るのがよいのです。こうすると、楽です。同時に充実感も出てきます。恐らく、時間を忘れて祈ることも出来るようになるでしょう。これは効果的な祈り方と思います。

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引きこもり

引きこもり そこが天国 ならいいよ
 単独者には 右に倣えだ

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2006年6月17日 (土)

二つの名著

ウイリアム・ジェームズの『宗教的経験の諸相』は名著と思ってきた。神谷美恵子著『生きがいについて』もまた、名著であると思う。神谷さんの著書にもジェームズの著書への言及がある。人が生きるためには、この分野の研究を盛んにしなければならないのである。

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夢分析

突拍子もない夢を見ることがある。なぜ、こんな場面が出てくるのか分からない。その時、この場面からキーワードを探し出すのは意味があるのだと思う。夢の奇異な場面は、歪められているとは言っても、そのキーワードを伝えたいということが真意なのではないか。そのキーワードを自分の過去の意識成長過程と比較して、解釈を行う。そんな実践を通して、夢は、その役割を果たすのではないだろうか。

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2006年6月16日 (金)

困った人たち

困った人たちがいる。遠ざけたい。しかし、そうもいかない場合もある。その時、どうしたらいいのか。心理学徒になることを勧めたい。心理学者は、異常心理の人たちに関心を持っている。いろいろな解釈を教えてくれるだろう。
困った人たちが、困った存在であるのは、当方の理解を超えたところにいるからである。理解ができれば、いいのだ。異常人間であっても、その異常さの原因が理解できれば、耐えられるのである。
困った人たちとの人間関係に悩んでいる人たちは、今すぐ、心理学徒になるべきであると、私は思う。

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迷惑メール

迷惑メールを削除すること。それは意味のあることと思います。自由意志によって、悪を退ける決断をしているのですから。自由意志を正しく使用すること、それは大切なこと。

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聖と俗

福岡県・北九州市に出現した巨大な大聖堂、実は結婚式場なのだという。もちろん、ここを使うカップルは信徒ではないであろう。こういう発想をする日本人には、世界から見れば、宗教が分かっていないということになるのだろう。宗教側も、永遠に自分たちを結びつけるきっかけになればと、寛容に構えているのかも知れないが、見方を変えれば、聖が俗に利用されているだけである。歴史的中世にも、そんなことが多かった。俗における存在は、どうしたって俗の論理を免れない。聖と俗との関係、それは常に問われ続けている。

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2006年6月15日 (木)

現在の課題

現在というのは、時間の一点のことであり、両側には過去と未来が限りなく伸びている。過去は可見的、未来は不可見的の違いがある。未来に向かって夢を持っていれば、現在の生き方は張り合いのある、有意義なものと考えられるだろう。夢は、どうしたら持てるのだろうか。

現在の課題というのは過去の解釈ではないだろうか。その解釈の中から未来が生まれるのではないだろうか。未来は、自分の意志にかかわりなく、襲ってくるようにして来て、自分の人生をこなごなにしてしまうかも知れない。戦争があった。災害もある。しかし、外部から来る不可抗力に全面的に身を委ねてしまうのは、人間の生き方ではない。自分の過去、民族の過去、人類の過去を解釈して、毎日、解釈し続けて、その中から未来のイメージを描いていくこと、これが人間にふさわしい生き方ではないだろうか。過去は、解釈を通して、現代に生き返るのであり、未来を形成しもするのだ。そんな過去に目覚めること、そこから自分の人生が始まるのだと思う。

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人間学

大学紛争のあと、大学にカウンセリングが重視され、人間学という科目を目にするようになった。人間学とは何か、初めよく分からなかった。たいして奥のあるものとは思わなかったが、宗教的洞察も含まれていることを知って、驚いた。自分探しの旅に出ようとしている人は、人間学の学びで得るところが多いであろう。

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幸福感

幸福は 幸福感と 言うけれど
 心の快は 体貫く

幸福感は一義的には心の問題と思いますが、同時に体も、どこかが変わると思います。

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幸せ

世の中に 不幸な者は 多いのだ
 だから小さな 幸せ多く

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2006年6月14日 (水)

生きがい

生きがいは はかなきものと 見つけたり
 それの支える 生もはかなき

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瞬間

瞬間を 一日何度 思いやる
 生のふるさと 今の原点

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人生

とりとめの なきことどもを 思いつつ
 いたずらに時 過ぎ行きにけり

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日本の知恵

語ろうか 語るまいか 前にして
 わずか語るを 選択したり

西洋は 百万言を 費やして
 それでも足らず 無限遠のく

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瞬間と反復

キルケゴールは実存主義の祖と言われる。彼は瞬間と反復について語る。永遠と時間の接点としての瞬間、その反復。
キリスト教を背景にして考えると理解しやすい。キリスト教には新生と聖化という概念がある。瞬間は新生に、反復は聖化に該当するであろうか。しかし、新生が反復されるのではない。新生は一回限りである。新生が結びついている洗礼が一回限りであるのと同じである。であれば、瞬間が反復されるのではなくて、反復は、一回限りの瞬間が、その「分有」の形として反復されると言うべきではないのだろうか。そう考えれば、瞬間の中に全てが含まれているのである。

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2006年6月13日 (火)

W杯初戦敗退

初戦負け 神風あると 信ずるか
 勝てとの求め 絶壁に立つ

戦いで 負けて帰国は できないよ
 敗者の美学 それは特攻

神は神 人は人なり 人の道
 それで十分 その道を行く

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2006年6月12日 (月)

よそ者

流れ者 地域社会に 溶け込まず
 いくら経っても 他人のままで

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空と無

仏教で、空とか無とか言う。どんな意味なのだろうか。同じ意味と違う意味があるのだろう。調べれば、きちんとした回答があるであろう。

空とは、自然界の空を思う。そこには、何もない。存在者がいない、という意味なのだろうか。そこでの存在者の特徴は延長である。延長的存在者の否定ということだろうか。それは、同時に概念などの非延長的存在者にまでは言及していないということであろうか。

無とは存在論的な意味なのだろう。そこでも、存在者の不在が、その意味なのだろう。絶対無という言葉もある。それは何か。存在者の間に走る対立の彼方という意味なのだろうか。いや、延長的存在者には対立はないのだから、そこでは非延長的存在者、概念などの領域が含意されているのかも知れない。存在論的な意味での無であれば、延長的存在者とともに、概念的存在者の否定されるが、そこが空との違いといえば、いえるかも知れない。

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2006年6月11日 (日)

美空ひばり

ひばり鳴く 美しい空(そら) 一羽鳴く
 空(そら)は空(くう)なり 戦後を造る

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幼児殺害

幼児死す 我が子の不幸 幸の子も
 比較した時 落差に耐えず

畠山鈴香容疑者の自白を聞いて

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2006年6月10日 (土)

隠退

興奮し 胸ドキドキの 人生を
 静かに終える 林住の時

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2006年6月 9日 (金)

ユング心理学

臨床心理学者の河合隼雄さんはユング心理学の紹介者として著名である。多くの著書を読んできて、教えられてきた。しかし、キリスト教との比較については、余り触れていないと思う。今も、ユング派の人々が臨床で活躍していて、その話も聞くのだが、キリスト教との関係については、余り語らないように思う。

近代日本における和魂洋才的なかかわり方のようにも思える。

『ユングとティリッヒ』(ドゥアリイ著、久保田圭吾・河東仁訳、大明堂発行)という本がある。日本人からは、こんな問題意識による本はなかなか書けないように思う。心に対する、癒し目的の技術的対応だけでなく、科学的探究も大切と思う。

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傾聴

人は三つの世界に囲まれている。それ、君、汝の三つである。「それ」には命令、「君」には対話、「汝」には傾聴が対応する。要するに、下、横、上に世界が広がっているということである。

傾聴とは汝の世界に向けられている。傾聴とはカウンセリングの世界の言葉で、クライアントに向けられている。神に向かうがごとく、クライアントに向かうのである。それはクライアントにも、神の世界を気づかせるためかも知れない。

神が語りかける。人は、それを聞かない。心に障害が起きる。だから、神の語りかけを聞けば、いいのだ。そうすれば、心の障害は消えるのである。そんなことかも知れない。

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2006年6月 8日 (木)

宇宙観照

わが内に 宇宙を見れば 絶望は
 どこにあるのか 希望沸き出づ

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2006年6月 7日 (水)

歩き方

きょろきょろと 周りを見るな まっすぐに
 前方を見て 歩こうよ

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嵐の対処

内心に 由来知らざる 嵐来て
 力入れずに 過ぎ去るを待つ

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2006年6月 6日 (火)

剛毅

ガンさんよ 来るならおいで 怖くない
 へっちゃらだよと 女優の剛毅

女優の大空真弓さんが、黒柳徹子さんとのテレビ対談で、ご自身のガン闘病について語っていました。ガンに対する怖さを感じていないような語り口でした。

ガンの宣告を受けて、絶望するとしたら、それはおかしいと思います。人はいつかは死ぬからです。もうじき、あなたは死ぬのだから、その準備をしなさいよ、と、ガンは、その人に教えてくれているとしたら、ありがたい病気ではないかと思います。私は死なないと思って生きるよりも、死ぬと思って生きていく方が、どれほど有意義な生き方ができるか知れません。

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素人の迷い

病気かな 性格だろか 分からない
 未知なる心 素人迷う

「心の病」という言葉があります。本当の病気なのか、それとも性格の偏りなのかと、どう判別したらいいのか、迷う時があります。
放送大学では、そのへんの授業がたくさんあります。専門家でも、見分けが難しい面もあるようです。
それにしても、心に病の文字をつけて、心もまた医学の対象であるという視点には、大いに賛同します。

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2006年6月 5日 (月)

功名が辻

柄本さん 舘さん共に 迫真の
 演技が目立つ 功名が辻

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バベルの塔

六本木 高層ビルに バベル見る
 堀江村上 失墜あわれ

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隠者の理想

世を避ける 隠者の理想 我に来て
 神と共なる 生活目指す

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一人の真相

人一人 無限を運ぶ 宇宙なり
 宇宙を見れば 興味尽きなし

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2006年6月 4日 (日)

asatosenさん

asatosenさん、無教会の方からコメントをいただけるとはうれしいです。コメント欄に出したのですが、表示されませんでしたので、ここに出します。

さて、『創文』4月号とは、創文社のPR誌の創文のことです。創文社(102-0083 東京都千代田区麹町2-6-7、電話03-3263-7101)に連絡されたら、送ってもらえるのではないでしょうか。

「無教会は無境界」という言葉の由来が政池仁氏かどうかは、私は知りません。昔、政池氏の講演を聞いたことがあります。その後、一度、御自宅を訪ねて、お話を聞いたこともあるのですが、深いつきあいはありませんでした。

無教会については内村鑑三さんの問題提起が重要なのだと思っています。日本的という批判は、矢代静一さんが著書で書いていましたが、最近では山折哲雄さんにも、ちょっと、そんな指摘があり、気になっています。「日本とイエスの二つのJ」と、内村は言ったのですが、日本のJに偏っているのではないか、という指摘でした。

内村の問題提起の重要な点の一つは教派の克服と思いますが、彼にはその意図があったけれど、周囲の人々には無教会という一つの「教派」と受け取られた面もあったようです。『峻烈なる洞察と寛容 内村鑑三をめぐって』(教文館、一九九五年)に、そのやり取りが紹介されていて、興味深いです。

関根正雄氏の御子息が、放送大学で授業しています。「倫理思想の源流」という題で、6月4日は十戒について語られました。講義は雄弁で、非常に教えられました。この大学では、社会学などの講座もあり、無教会形成論に関しても、参考になるアイデアが多く紹介されているように思います。聞くだけであれば無料です。

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聖霊降臨

今日は聖霊降臨の主日。ペンテコステの日とも言われる。キリスト教の祝日では、クリスマスが一番よく知られており、そのあとに復活節(イースター)、そしてペンテコステであろう。しかし、信仰の認識の順番は、ちょうど、その逆である。ペンテコステがなけれど、イースターもクリスマスも、なかったであろう。
使徒言行録(2章3節)では「炎のような舌」が現れて、弟子たちの上にとどまった、と書かれている。「炎のような舌」を、誰かが見たのであろうか。いや、そうとしか、表現できなかったのであろう。炎には燃やす働きが固有であり、舌は語る機能を持っている。この両者の働きが弟子たちに与えられたという意味なのだろう。
彼らは、「ほかの国々の言葉で話しだした」とも書かれている。こんなことがありうるのだろうか。ちょっと考えられないことである。では、嘘の記述なのだろうか。いや、このように書かなければ書くことができないという事態が歴史の上に出現したということではないだろうか。
現代人が聖書を読む時、歴史的事実として、そのまま受け取るには抵抗を感じることが多い。しかし、意味に関して考えれば、真実を語っていると思うのである。その真実において、聖書を読めばいいのではないかと、私は思う。少なくとも、その真実を抜きにして、歴史的事実と主張することには何の意味もないような気がしている。これは非神話化なのかも知れないが、その意味では、私は非神話化して読んでいるのであろう。

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発達障害

健常と 思いし我も 発達の
 障害者とは 思い新たに 

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ドストエフスキー回想

病人を 愛し続けた まなざしは
 慰めに満ち 癒し豊かに

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2006年6月 2日 (金)

遊び

我が外に 時空に伸びる 無限あり
 無限に遊ぶ 楽しみ尽きず

肉体に 制限された 我なるも
 想像力の 羽ばたく音よ

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対立

宗派同士の対立感情は宗教世界にもありますが、心理療法の世界にもあるようです。フロイト派とユング派の対立とか言われます。部外者なのですが、フロイト派は英国経験主義、ユング派は大陸合理主義の対立と似ているような気がします。歴史はカントが出現します。両方の真理契機を総合します。臨床心理療法の世界でも、そんな融合は期待できるのでしょうか。

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絶対精神

放送大学で、ヘーゲルの紹介があった。絶対精神を聖霊と言っていた。初めて聞いたことだ。そうだったのか。

絶対精神の自己展開が歴史なのだという。進歩主義の極致なのだろう。その影響が、その後の世紀に浸透したのだろう。そんなことを分からないで、20世紀の戦争を取り上げて、進歩主義の限界・挫折を語っても、進歩主義を本当に理解したことにはならないだろう。

ヘーゲルは、キェルケゴールから見たら、克服すべき対象である。しかし、ヘーゲルに即して考えれば、それは神学的真理の哲学的言い換えなのではなかろうか。

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2006年6月 1日 (木)

自殺者数

自殺者数が年間3万人を越えています。どうしたらいいのでしょうか。

自殺する人は生きがいを失っているのでしょう。神谷美恵子著『生きがいについて』という本があります。こんな本を読むことで、生きる意味を見出すことも有意義でしょう。

しかし、いずれにしても、人はいつかは死ぬのです。急いで死ぬ必要はないと思います。苦しい人生であれば、一生懸命苦しめばいいのです。しかし、自分の本当の苦しみは、たとえ身近にいる人でも分からないかも知れません。逆に、他人から「本当に大変ですね」と、同情されるような生活であっても、本人には苦しみは、あるいは、それほどではないかも知れません。

子どもの時は、この世は新鮮でした。今、新鮮ではなくなっているかも知れません。しかし、それでも、まだ探せば新鮮さは、この世にあると思います。病床にあった正岡子規を見よ、と言いたいです。

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責任

大宇宙 けしつぶみたい 我なれど
 神に等しき 小宇宙

私は私という小宇宙に対して、責任があるのではないだろうか。それは無限の責任のようでもある。自分の管轄下にある宇宙を見て欲しい。

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障害者

障害の ある人もいて ない人も
 ないと言っても ないことはない

他人の目には、自分は健常者かも知れないけれど、自覚の上では障害者である。そういう意識の方が安全と思います。

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