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2006年6月22日 (木)

神の死

神の死とは、ニーチェの言葉である。彼は実存主義の思想家ということになっているらしい。実存主義の祖はキルケゴールと言われている。彼は、人はいかにしてキリスト者となるかという問題意識から、実存の思想を語り続けた。だから、彼の実存思想にとって、「神の死」とは、全く思い至らなかったであろう。

神を体験した人にとって、神の死とは、全くナンセンスである。ニーチェはキリスト教の中で思想構築を行っていた。キリスト教にとっての神体験とは、ペンテコステの聖霊降臨の体験が原点であろう。神の死とは、この否定でなければならない。しかし、それに成功した人は一人もいない。ヨブを見よ。パウロを見よ。ある時、突然、神が現れている。そして、人が一変するのである。このような突然変異的な事柄が、キリスト教の歴史にはある。そのような体験が自分にないということをもって、人類の歴史には、そのようなものはないと決めつけてしまっていいものだろうか。

しかし、そのような体験がなく、しかも、キリスト教の勢力に敵意を感じている人がいても不思議はない。そのような人のためには、「神の死」は興味深い言葉であろう。しかし、それもまた人間の領域である。人間の領域は、また神の創造した領域でもある。対話は、常に開かれているのだ。

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