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2006年6月24日 (土)

償い

罪には罰が伴う。それで終わりの場合もあるが、終わらない場合もある。それは更生が続く場合である。そこでは償いが必要となる。どんな償いが必要か、それは自分で考えなければならない。

罪とは自由意志でなされるものだ。その前提は、決断の前に立たされるということである。その決断の間違いが罪である。理由は、いろいろあっても、罰の執行の中では、その理由は正しくない、誘惑であったということになる。

ヨナに神の言葉が臨んだ時、ヨナは従順でなかった。それが罪である。その後の彼の人生が、それを語っている。マリアに天使が臨み、救世主の降誕を告げた時、マリアは同意した。それが信仰である。そこから、今のような救済史が始まった。その時の事柄を記している天使祝詞という祈りの中で、その信仰を想起することが、償いになるのではないだろうか。今の私は、そう思っている。

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コメント

間違いを犯した時、どうすればよいか、最近は、テレビで、その仕方が繰り返し、教えられている。

謝罪、原因究明、そして再発防止への努力である。信頼をそこなうことが罰かも知れない。

謝罪が悔い改め、再発防止への努力が償いかも知れない。再発防止のためには、原因究明が必要である。

これは個人の罪においても適用されることである。罪の原因が究明され、その再発防止のための努力が始まらなくてはならない。その過程が償いであり、その方法が正しければ、よい結果を生むであろう。

投稿: | 2006年6月25日 (日) 05時38分

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