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2006年7月18日 (火)

キリシタン史

「新しき中世」という言葉で、日本で連想される人物は、吉満義彦であり、彼をフランスのマリタンのもとに送った岩下壮一である。しかし、思えば、この二人は、日本のキリシタン史には余り関心がなかったかも知れないが、西洋16世紀の宗教分裂に関しては、カトリック側の意見を語ることはできたし、この分裂を啓蒙主義、プロテスタント側からのみ語れない人々の中では、貴重な意見の持ち主だったと思う。

学生寮で、舎監だった吉満の西洋中心的関心に疑問をもった遠藤周作は、その後、キリシタン史に取り組んだ。彼には、逆に、「新しき中世」という言葉はない。

恐らく、この二つの関心を併せ持つ中で、新時代は開いていくのだろう。岩下・吉満に対するキリシタン史への関心、そして、遠藤に対する西洋キリスト教史に対する概観、そんな関心の融合が、時代形成への有効な要素なのかも知れない。

それにしても、キリシタン史というのは気のめいるような課題である。あえて、それに取り組むのであれば、それは現代への問題提起に有効性を見出しているのでなければならぬ。

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