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2006年7月21日 (金)

松岡洋右

昭和天皇の1988年の発言を記録した富田朝彦・元宮内庁長官(故人)のメモが公表されて、波紋を呼んでいる。7月21日の新聞朝刊は大きく扱っている。天皇の靖国神社参拝が途絶えた理由がA級戦犯合祀への不快感によるものという内容だった。そのメモの中に、松岡、白鳥という名前が出てくる。松岡洋右(外相、拘禁中死亡)、白鳥敏夫(駐イタリア大使、服役中死亡)の二人である。松岡洋右については、キリスト教と無縁な人物ではない。少し、紹介しておこう。

 昭和八年二月の国際連盟総会で、日本軍の満州撤退勧告案採択に抗議して、松岡洋右首席全権が退場、日本は国際連盟を脱退することになった。当時、長野地方裁判所判事で、既にキリスト教の洗礼を受けていた武藤富男氏(開成の夜学で苦学された)は、その後、松岡全権の国際連盟脱退演説の中に、「日本は満洲のため十字架を負っている」という言葉があるのを新聞で知って、「十字架ということばをこんなところに使うのは、冒涜だと思った」という(『社説三十年 第一部』三十五頁)
 しかし、「十字架」という言葉は、松岡自身にとって、決してなじみのない言葉ではなかった。松岡は十代の初めに渡米して、アメリカ人家庭に住み込んで、皿洗いなどして大学を卒業している。そのころ、彼は川辺貞吉牧師に感化されて、洗礼を受けてプロテスタントの信者になっているのである。このキリスト者・松岡について書く人も関心を持つ人も余りいない。
 日本の国際連盟脱退について、新渡戸稲造も事務局次長として国際連盟に積極的に関係していたので、新渡戸などは、この件に対して、松岡の行動を批判したのかと思ったが、中公新書『松岡洋右-その人間と外交-』(三輪公忠著)によると逆であったらしい。
 松岡は、敗戦後、A級戦犯に指定され、東京裁判の法廷には数回出ただけで、武藤氏が、昭和二十二年五月に東京裁判の法廷に証人として出て、満洲国の宗教政策と信仰の自由について証言した時には、既に病死していた。
 この松岡について、武藤氏は生涯で、たった一回、面談したことがあり、「松岡は稀有の雄弁家で、満鉄総裁時代、特急アジアに乗ると大連から新京までの間、展望車でしゃべりつづけて、周囲の者をその弁舌と見識とをもって魅了するという人物であった」という印象を持っている(前掲書・一四一頁)。
 プロテスタント信者の松岡は、亡くなる時には、カトリックの洗礼を受けた。文春文庫『血族が語る昭和巨人伝』(文藝春秋編)に松岡洋右の長男、謙一郎氏が、晩年の父について、「東大病院に入院しているときに『キリスト教はやはりカトリックだ』といって、カトリックの洗礼を受けました」(45頁)と書いている。
 この「カトリックの洗礼」の部分については、中公新書『松岡洋右-その人間と外交-』に、こんな記述がある。
 「松岡臨終の知らせを受けて駆けつけた人のうちに、井上泰代というカトリック信者があった。この人は松岡最後の数年間、松岡に絶えずつきそった主治医であった。井上さんは、松岡が生前からカトリックの信仰に深い関心を示していたところから、まだぬくもりのある体に洗礼をさずけた。いわゆる『望みの洗礼』を授けたのである。洗礼名はヨゼフといった。そして、戦犯も人は人、というフランス人神父ヨゼフ・フロージャック(Josepf Flaujac)の司式でカトリックの葬儀が神田教会でいとなまれた」(191頁)
 この「望みの洗礼」というのは、「洗礼を望みながらも、洗礼を受けられないうちに死ぬ場合は、神を信じ、愛の心で罪を悔い改めれば救われます。またキリストの福音を知らない人でも、誠実な心をもって、救いに必要なことを果たそうと努めるならば、キリストの恩恵によって、救いの道を得ることができます」(『カトリック要理』)に該当する「洗礼」なのだが、松岡は既にプロテスタントの洗礼を受けていたのだから、「望みの洗礼」というのはおかしいのではないか。むしろ、条件付洗礼というべきではないのか。
 松岡の葬儀は、昭和二十一年七月一日、神田教会で行われた。また、彼は外相だった昭和十六年に教皇ピオ十二世に単独謁見しているが、そこでカトリックの好印象を得たらしい。これらは当時のカトリック新聞に掲載されている。

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コメント

白鳥敏夫氏がキリスト教の信仰を持ったのかどうかは正確には知らないが、『キリスト新聞』の創刊号(昭和21年4月27日)の1面トップ記事は「白鳥敏夫氏獄中手記」で大見出しは「天皇とキリスト」、副見出しは「平和日本再建への課題」となっている。記事の中の見出しは「天皇の御性格」「天皇制と宗教」「民主主義の精神」という文字を読むことができる。白鳥氏がキリスト教と触れたので、トップ記事となったのかも知れない。

投稿: | 2006年7月21日 (金) 10時35分

昭和天皇のメモに、どうして松岡、白鳥の二人の名前が出てきたのか分からないが、二人ともキリスト教と関係がある。であれば、信教の自由の見地からは、靖国神社の合祀されるのは、故人の意思ではないかも知れない。昭和天皇が、そにことを知っていたか、どうかは知らないけれど。

投稿: | 2006年7月21日 (金) 10時37分

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