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2006年7月19日 (水)

死を学ぶ

定年、還暦のあとは、死を学ぶという気持ちを持ってもいいのだと思います。自殺の勧めではありません。人は、誰もいつかは死ぬのですから、死ぬ時が来たら死ねばいいのです。

それにしても、自殺する人たちは、自分の所有が失われるのが、それほど怖ろしいのだと思います。自分は、自分の所有するものなのだと勘違いしているのだと思います。所有を失っても、自分は元来ゼロだ、という悟りがあれば、所有を失っても、それは死を学ぶ機会にはなるでしょうが、自殺することはないと思います。自殺する人は、やはり、富んでいる人に違いありません。イエスの言葉「貧しい人は幸い」を思うのです。また、無・空の仏教的悟りの重要性も納得するのです。

死を学ぶとは、「貧しいこと」、無・空を学ぶ、ということです。そういう意味で、定年・還暦後にも、人は人生に期待できるのだと思います。

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