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2006年8月23日 (水)

カルト

昔、盛んだったシュプレヒコール調で
訴えるなら
   
「宗教は自由意志を犠牲にするな!
宗教は理性を犠牲にするな!」
   
自由意志と理性とは
人間であることのしるし
   
この二つからなる「リトマス試験紙」で
その宗教がカルトかどうかが分かる
   
しかし、この二つを葬りたい欲求も
人間の中に根強くある
   
そこから生まれる狂気の快楽
その伝道者はいくらでもいる
   
外なるカルトを生み出しているのは
内なるカルトなのかも知れない

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コメント

一般的には小さな宗派・教派が自己絶対化を試みた時、そこにカルトが生まれると思われている。しかし、大きな団体が、そうなる危険性もあるかも知れない。戦前の日本は、どうだったろうか。

キリスト教が公認され、国教となっていく過程のローマ帝国を考えた時、帝国全体がカルトになってしまう危機だってあるのではないだろうか。そこに理性に立脚するギリシャ思想の意味があったのだろう。理性の立場を最高に認めないと、帝国全体がカルト共同体になってしまう危機感があったのではないか。

キリスト教に、なぜ異教思想のギリシャが介入したのか、それは信仰に必須なのか、そんな問いが日本人キリスト者にはあるかも知れない。その回答は、ローマ帝国の中でのキリスト教の影響が強くなっていく時、理性の立場から、最大限の批判をして、宗教の健全さを維持していく必要があったのだというのも、一つの回答ではないだろうか。

投稿: | 2006年8月23日 (水) 18時57分

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