« 自殺予防 | トップページ | 裏切り者 »

2006年8月20日 (日)

宣教の背後関係

ザビエルの宣教は確かにキリスト教福音の紹介であったが、同時に領土的野心とも、どこかで結びついていたのではないだろうか。宣教師たちは純粋な心であったとしても、どこかで地上的野心と結びついていたのではないだろうか。だから、地球の果てにまで、宣教が及んだのではないだろうか。

改宗者をつくることがスパイをつくることと、どこかで結びついているのであれば、時の為政者は警戒するであろう。

宣教の背後に地上的権力が存在している時、日本文化と妥協するといった配慮は生ぬるい姿勢とも感じられるのではないだろうか。そして、そんな姿勢がキリシタン禁制の背景にあったとしたら、秀吉の決断にも理があり、その後の鎖国にも同じ理を見ることができるのではないだろうか。

福音宣教は、被宣教国の文化を別の文化で置き換えることではなくて、その文化の完成に資するという要素でアプローチすることが、宣教のためには必要ではないだろうか。そんな視点の発見をしたのが内村鑑三であったとすれば、彼の発見はキリシタン宣教の失敗に対する反省を意味しているとも言える。

|

« 自殺予防 | トップページ | 裏切り者 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104898/11518271

この記事へのトラックバック一覧です: 宣教の背後関係:

« 自殺予防 | トップページ | 裏切り者 »