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2006年8月 6日 (日)

洗礼

イエスは無罪であった。これは信仰であるけれど。従って、イエスは罪の許しのための洗礼を受ける必要はなかった。しかし、洗礼を受けた。なぜか。

それは他者のためかも知れないが、同時に、歴史の中に自分を関係させるためではなかったか。彼は洗礼によってヨハネの教団の一員となった。自己限定である。彼の展望が広がっていく時、彼はヨハネを解釈する。乗り越えるために。

16世紀の宗教改革は、このような乗り越えをしたのだろうか。アウグスチヌスを権威と認めているのだから、乗り越えではなく、その一部の強調というのが真相ではなかったのだろうか。

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