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2006年8月16日 (水)

靖国神社問題

現在の靖国神社問題はA級戦犯合祀や太平洋戦争に縛られている。しかし、この神社は、思えば、もっと歴史が古い。明治体制・近代日本の形成と結びついている。近代日本の終焉は敗戦、明治憲法の廃棄で形式は整ったが、一方、内容・精神に関しては靖国神社の「処置」の問題が残ったと思う。

首相・天皇が、現在のままで靖国神社に参拝したら、明治体制の継続を意図している、あの平和憲法体制は破られると、誤解されるかも知れない。

いくつかの解決案があるかも知れない。靖国神社の精神の相対化である。個別は個別としての権利はあるが、全体の中では相対化されなければならない。その全体が見えなくなると、個別が絶対化されてしまう。日本だって、アジアの中の日本、世界の中の日本という全体の中での視点が必要だ。靖国神社が日本の神社、日本の近代を形成した神社であることは、否定しなくてもいいが、それだけとなると、平和憲法体制の精神的中心が見えなくなってしまう。敗戦後の、その平和思想を前進させる精神的支柱をどこに求めるか、それが問われている。そして、今は、政治の問題になっている。この解決が見えた時、靖国神社は、その静謐を取り戻すことが出来るであろう。

それは、日本武道館での追悼式典かも知れない。天皇、首相などが出席しているのだから、日本としては公の事柄である。その意味では、すでに、解決案は実施されている。

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コメント

既に案が出ているが、千鳥が淵墓苑の拡充によって、日本は戦後の立場を内外に表明すればよいのではないか。これが現実的な案である。もちろん、靖国神社に代わる施設ではないが、二つの施設が必要、と思う。靖国神社に代わる施設を造る必要はない。戦後の立場を靖国神社に要求するのは無理である。近代日本の施設としての靖国神社、戦後の施設としての千鳥が淵という性格づけである。靖国神社の新たな合祀は、本来ならば、戦後では中止されるべきではなかっただろうか。合祀が今後も続くとなると、靖国神社はポストモダンの施設となり、無理が起きるように気がする。

投稿: | 2006年8月16日 (水) 14時06分

日本の終戦に関する慰霊・追悼行事では、公的なものとしては日本武道館での全国戦没者追悼式のみであり、その次に千鳥が淵墓苑での追悼行事と靖国神社での参拝がくる。公的行事は全国戦没者追悼式であることを強調すること。この三つの中で靖国神社参拝を位置づける。

千鳥が淵墓苑を施設拡充して、外国からの賓客による行事にも対応できるものとする。その時、無名戦士のためだけではなくて、「太平洋戦争の犠牲者のため」と対象を拡大する必要がある。

こういう方向で進めればいいのである。

投稿: | 2006年8月16日 (水) 20時33分

靖国神社に合祀されている人の8割は太平洋戦争関連の人たちだということです。本当は靖国神社としては、日清・日露での勝利の歴史を、もっと刻み、印象づけたいでしょうが、この神社が先の敗戦に深く結び付けられている事実、その事実に向き合わなければならないのでしょう。

投稿: | 2006年8月21日 (月) 17時05分

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