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2006年8月 9日 (水)

摂理

摂理という韓国人教祖の女性に対する行為が社会問題になっている。その教祖は、かつて統一教会に所属したいたという。かつて、統一教会にも、同じような嫌疑がかけられたことがあった。その部分だけ、摂理は教祖によって引きずっているように思える。

大学紛争の前後の時期、統一教会の話を何度か聞いたことがある。教祖が再臨主、そんな前提がなければ成り立たないような内容であったように思った。カトリックもプロテスタントも、まだ再臨待望の時を共有しているのである。その点では同じ歴史認識だ。再臨主が来たら、教会の歴史は終わるのである。教皇も、その役目を終えるはずだ。ドストエフスキーが、その時、教会の主と、どんな議論が展開するか想像して、「カラマーゾフの兄弟」の中で描いている。しかし、再臨主の到来の時、そんな議論はないだろう。

統一教会は、イエスが来た時、ユダヤ民族が、彼を受け入れなかったことで、イエスの事業の「失敗」を指摘していた。今、再臨主が来ている。ユダヤ民族の相当する教会が再臨主を受け入れること、それが教会の選択すべきことで、そのことで、再臨主は使命を達成し、教会も待望信仰の実現の時に入る、そんな議論の展開であったように思う。教会は、そこまで大胆にはなれないであろうし、教会の待望する再臨主は、もし現れたならば、教会は、それを直ちに受け入れるに違いない。初臨の時には、匿名の中で現れたが、再臨の時には、匿名ではなく、栄光の顕現の中での現れであろうから、教会への説得など不必要なのではないだろうか。そんな疑問を感じていた。

統一教会は、そのような下心を抱きつつ既成教会へのアプローチを続けていたが、既成教会のガードが固く成功しなかったようだ。今は、余りマスコミの話題になっていない。しかし、再臨主への信仰のあり方を問うという点では、既成教会に対する、一つの問題提起であったように思う。再臨は、今は信仰である。しかし、いつかは実現するであろう。その時は知らない。どんなことが起きるのかもよくは分からない。あたかも肉体の死の時がいつか、またその時、何が起きるのか分からないように。

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