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2006年8月11日 (金)

愛の構造

愛するとは、自分の別のあり方を欲すること   
なぜなら、今の自分は不幸だから
   
やがて死んでしまう、このちっぽけな存在に
自分は我慢できない
   
死んでしまう自分だが、
そんな自分に頑強に反対する自分がいる
   
この頑強に反対する自分にこそ、
何か、本当の自分がいるような気がする
   
私は存在
ちっぽけな存在
   
しかし、だから
大きな存在にあこがれる
   
大きな存在と共にいたい
それが愛するということだ
   
この大きな存在を神という
だから、人は神を愛する
   
神を愛さないでは、
人は生きていけない
   
そう言わない人たちは、
本当の神を知らないだけ
   
死を前にして、
人は、神を思わざるを得ない

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コメント

このような愛はエロースといって、神の愛であるアガペではないよ、と、そんな批評があるかも知れません。しかし、求道心は大切です。求道心も、最初は自力信仰(エロース)の中で進むのでしょうが、どこか、ふっとしたところで、他力、それも絶対他力(アガペ)に転換する、そして、求道の目的を達成します。その達成地点から、求道心全体をながめて、神への愛と言っているわけです。

投稿: | 2006年8月11日 (金) 06時38分

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