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2006年8月 9日 (水)

対話

改革派の信仰の中では、改革が中途半端ということで、ルター派の信仰への批判があるのだが、その根拠として持ち出すのはアウグスチヌスである。特に、ペラギウス論争におけるアウグスチヌスの恩恵論である。

「我々の信仰の流れはパウロ・アウグスチヌス・ルター・カルビンである」と、プロテスタンティズムの信仰の系譜を、ある牧師から説明されたことがあった。
しかし、パウロもアウグスチヌスも、カトリック教会において聖人とされているのであれば、その教えについても権威を持つといえるだろう。であれば、あの16世紀の信仰的加熱は、どこか異常であり、対話は可能であるのだと思う。恐らく、改革者たちも、教会の革命を意図したのではなくて、教会の改革を求めたのであろう。

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