« いい感じ | トップページ | よき国 »

2006年8月19日 (土)

キリスト教宣教の失敗

日本におけるキリスト教宣教の失敗は、日本文化の無視・軽視からくるのだろう、と思う。西洋的押し付け文化で、日本古来の文化が否定されてはたまらない、と、秀吉はキリシタン禁制の決断で思ったのではないか。そんな意識は、現在でも生きているのではないだろうか。

仏教でも教えられることは多い。それを異教として排斥する狭い意識が、外国人の宣教師的意識にあったのではないだろうか。それでは、日本での宣教は出来ないのである。内村鑑三は、そのことを直感的に知った。それは、あるいは今でも感じることがある。

諸宗教との対話は宣教の前提である。その意味では、最近は、仏教に造詣の深い神父が多いのは、心強いことだと思う。

|

« いい感じ | トップページ | よき国 »

コメント

実存を 前提せずに 福音は
 語られぬもの 実存を問え

投稿: | 2006年8月19日 (土) 17時11分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104898/11503928

この記事へのトラックバック一覧です: キリスト教宣教の失敗:

« いい感じ | トップページ | よき国 »