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2006年9月 9日 (土)

生き方

利己主義と個人主義と人格主義という三通りの生き方がある。
   
利己主義は自分の保存と拡大のために、他者の権利を吸収していこうとする。個人においても、国においても、容易に観察される生き方だ。ニーチェの超人思想も巨大な利己主義ではないのだろうか。戦前の日本は利己主義だった。他者の権利を侵害したことで、今でも抗議を受けている。
   
個人主義は「自分は自分、他人は他人」といった生き方。少し冷たい気がする。
   
家庭の崩壊、地域社会の崩壊、学校の崩壊と、今の日本では当たり前の生き方になっている。
   
そして、人格主義は、人間における永遠なるものに目覚めて、それを中心に考えようとする。人間が人間であるのは人格のためだ。自分が自分であるという意識は不滅のような気がするが、死が、その意識を阻む。
   
そんなことを考えると、利己主義も個人主義も、人間の自覚という点では不十分で、途上にあるようだ。大正3年に『三太郎の日記』を書いた阿部次郎の人格主義は、まだ訴えるものを持っているように思う。しかし、死を突破しないと、人格は確立しないと思うが、そこが、阿部次郎の思想の中で十分に捉えられていたかどうか。彼の教養に邪魔されて、読者が、そこに実存的性格を読み取れないという不幸があるのかも知れない。
   
日本の桜の季節に、西洋の復活祭もある。しかし、死が自分のことではないならば、復活祭もまた意味ないことではある。

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