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2006年9月24日 (日)

南無

日本の仏教には、南無阿弥陀仏とか南無妙法蓮華経という言葉がある。南無とは帰依を意味する。

宗教の信仰を表現する言葉としては、私は南無阿弥陀仏の方に共感する。ストレートな表現であると思う。

一方、南無妙法蓮華経には宗派争いの背景を感じている。法華経に帰依するという意味なのだろう。だから、法華経至上主義である。しかし、信仰内容が直接に語られているわけではない。

キリスト教で言えば、法華経は宗教改革者ルターにおけるガラテヤ書に匹敵するのかも知れない。「南無ガラテヤ書」、それが宗教改革の旗印であった。具体的には、ストレートには、信仰義認の信仰なのである。

信仰義認は、ルターが訴えた16世紀以来、多くの日を経て、その主張が受け入れられる日が来た。ルターの信仰の後継者たちが、ルターが批判したカトリック教会との間で信仰義認で合意したからである。

日本の法華経至上主義教団には、大教団がある。しかし、救いの道を端的に、そのものずばりと教えているのは、浄土教、浄土真宗の南無阿弥陀仏ではないかと、私は思う。

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