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2006年9月 2日 (土)

厭離穢土欣求浄土

NHK大河ドラマなどで、徳川家康の合戦の場面を見ていると、家康の側に「厭離穢土欣求浄土」と書かれた旗が翻っていた。これは「えんりえど・ごんぐじょうど」と読み、「現世(穢土)をきらい、死(浄土)をあこがれよ、という浄土宗の言葉」であるという。

浄土宗は家康の宗旨であり、彼の家来の中にも、この信徒が多かった。「南無阿弥陀仏」という念仏の効能が、この宗教の創始者たち、法然、親鸞らにより提唱されているのだから、むしろ、死に直面している人々のためには、ストレートに、この言葉を掲げた方がよいのではなかろうかと思う。しかし、そうしたら、後世のわれわれは、これは宗教一揆かと思うかも知れないし、また戦場の人たちは、その言葉の厭世気分に引きづられて、戦う意志を失うかも知れない。「厭離穢土欣求浄土」には、それほどの宗教性、純粋性はない。彼らは穢土のために戦っているのだから、少し考えれば矛盾していることが分かるはずだ。

だから、「厭離穢土欣求浄土」は、戦いで死に直面した者たちに、死を恐れるなとの励ましを与えるという、言ってみれば方便として使われているのではないか。あの、現世的な家康が、熱烈な「厭離穢土欣求浄土」の信徒とは、どうしても思えない。家康が幕府を置いた江戸が発音に関しては穢土と同じであるのも暗示的ではないか。

それでも、この言葉「厭離穢土欣求浄土」は、関が原から400年たった今も、多くの共鳴者を持っているに違いない。浄土が現実のものであれば、その時は、「厭離穢土」は、当然のことなのだから。そして、浄土の現実を疑わない人が日本には多数いる。疑う人は、もはや信徒とは言えないであろう。

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