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2006年9月 4日 (月)

全能

意志は成る 神の全能 その意味で
 その思い知り 心合わせよ

神の全能の信仰というのは、神の意志は必ず実現するという、聖霊体験における思いであって、その思いから離れたところでの論理学的議論のためではないと思います。

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コメント

何が言いたいかと言えば、人間の自由意志と神の全能とは、形式的には二つ一緒に立たないのだが、現実を観察すれば、二つ一緒に立てなければなければならない、ということである。

神の全能を中心にした、一貫した論理というものはカルビニズムなのだろう。逆の立場が、自由意志を強調したペラギウスの立場かも知れない。二つを同時に立てる立場として、歴史的には半ペラギウスという立場・言葉もある。しかし、これが人間の論理にしてしまうと、神の全能の一部否定、人間の自由意志の一部否定という形をとる。しかし、それは真理とは違うのである。なぜなら、それだと、人間に自由意志はない、神は全能ではない、ということになるからだ。

西洋の16世紀は、こんなことを議論していたのだろう。しかし、この議論は、われわれが人間である限り、そして神を必要とし、求めている限り、今でも終わっていないのである。

投稿: | 2006年9月 5日 (火) 06時07分

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