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2006年9月 5日 (火)

回心のこと

知り合いの神父さんが本を出した。『バンカー、そして神父』(亜紀書房、2200円)。

面白くて、というと、妹さんの深刻な病気のことが書かれているので、軽い気持ちで言っていると思われると心外で、決してそうではない。考えさせられるものを多く含みつつも、次はどんな展開になるのかな、といった興味が途絶えず一気に読んでしまった。表現にも「面白い」ものが多かった。

回心のことかも知れないが、改心と書いてあった。最近は、カトリック教会も「回心」という言葉を使っている。改心は間違いですよ、と言いたい気持ちもいくらかあったが、いや待てよ、とも思った。

伝統的にはプロテスタント的信仰においては回心の強調があったし、逆にカトリック的信仰においては改心が普通だったかも知れない。

改心だって、あれは自力救済さ、いや、神人協力さ。自力救済はペラギウスだから異端だし、神人協力だって、純粋な信仰ではないよ。そういった反論、批判が、プロテスタント側から聞かれるような気がする。私の中にも、実はいくらかあるのである。

しかし、待てよ。回心は基本的には一回限りのことではないか。何度も回心なんかできないではないか。パウロはダマスコ途上で回心したが、その回心は一回限りであった。何度も出来るのは改心ではないか。であれば、改心を呼び掛けるのは信徒向けなのであり、回心は未信者向けなのである。

カトリック教会が回心の言葉を採用しているのは、それなりに評価しても、改心の要素も必要なのである。その認識を得た時、私は、回心か改心ではなくて、両方、必要と思うようになった。教会には洗礼と聖体拝領(聖餐)の両方があるのである。洗礼が最初で聖体拝領は、それに続くのである。回心が最初で、改心は、それに続くのである。

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