« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »

2006年10月31日 (火)

対話

あれもよし これもよいのだ 対話して
 自己を超え出よ それが目的

超え出なば 丘の上なり 眺望を
 得なば伝えよ 笑顔望みて

| | コメント (0) | トラックバック (0)

風が吹く その現実を 皆感じ
 語る言葉に 違いはあれど

| | コメント (0) | トラックバック (0)

プリモプエル

育児なし プリモプエルの 声聞いて
 あてにはできぬ 老いの只中

| | コメント (0) | トラックバック (0)

神秘

肯定と 否定神学 共に言う
 存在類比 矛盾同一

肯定神学と否定神学は、共に真であると言うには、どうすればいいか。そこに存在の類比の考え方があると、私は山田晶氏の著書から学んだ。同時に、それは西田幾多郎の言う絶対矛盾的自己同一の示す真理ではないかと思うのである。だから、存在の類比が言おうとしていることと、絶対矛盾的自己同一が言おうとしていることは同じことなのではないだろうか。神秘を指し示している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

汎在神論

汎在の 神在りという 有神と
 汎神の神 その間かな

| | コメント (0) | トラックバック (0)

未履修

そんなにも 大事なことで ないんだよ
 大目に見れよ 森氏も我も

森・元首相は、10月30日、文部科学大臣に、高校三年生の必修科目の未履修問題で、「大目に見てやれ」と電話で伝えたという。同感。校長の自殺も伝えられるが、そんなに深刻な問題にしてはいけない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ケーベル会

ケーベル会の頁ができました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

神学

神学を 学ぶことよし とらわれる
 ことを離れて 少し見上げよ

神学は西洋神学です。西洋の学問です。しかし、東洋人である日本人には、どうも何か違うような気がしています。それは区別立てをし過ぎるような気がするのです。その区別に対して、次々に名前が与えられています。そんな神学を学び、教えているのが神学校です。それを通して、無数のレッテルが作られています。そのレッテルで無数の批判がなされています。少し違うのではないか、そんな気がしています。

「新しき中世」には、神という文字はあるのですが、神学のレッテルによる教派という文字はありません。そういう考え方の枠なのです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年10月30日 (月)

新しき中世

古代では 自然中心 中世は
 神中心で 近世は人

放送大学で、古代、中世、近世の思想の性格づけを講義していました。自然、神、人間の三つの項目があり、古代では自然中心、中世は神中心、近世は人間中心と言っていました。中心というのは、他の二者を中心に関係つづけるという意味も持っています。これは、一般的に妥当する見解のようで、『憧憬の神学』116頁でも、こう書かれています。
「西洋近代ということは、神・人間・自然という三角形のうち、神によって人間と自然が支配されていた中世的世界観が崩れ、人間が神と自然とを支配する人間中心的文化が始まったということである」
そこには、古代の言及はないのですが、著者は古代では自然中心だったと言うと思います。
さて、「新しき中世」という標語は、近世の人間中心から中世の神中心に戻したいわけです。しかし、歴史の針を逆転させることは出来ません。そこで「新しき」という言葉が必要になるのです。近世あるいは近代を超えて、という意味では、ポスト・モダンの意味が込められています。そんな大まかな、単純な志向性において使っている言葉です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

韓国

韓国に 狙われている 日本だが
 国民意識 そこまで行かず

ジウさんの 愛らしい顔 有名で
 宣教のため 来日予定

韓流は 映画だけでは ないのだよ
 宗教輸出 思い切なり

韓国の映画スター、チェ・ジウ(31)さんは実はキリスト教の信徒。韓国のキリスト教専門衛星放送CGNTVが日本支局を開局、ジウさんの来日は、その祝賀コンサートに参加のためという。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

発見

発見は 自然世界に 限らない
 生きる仕方も 発見のうち

| | コメント (0) | トラックバック (0)

社長

ホリエモン 責任あるよ 社長だよ
 部下にそこまで 言われたあとで

堀江貴文・元社長の主観的無実の主張は、それはそれでいいが、問われているのは社長としての客観的責任ではないだろうか。元社長として、いさぎよく処された方がいいと思う。そこに美があると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自由

自由とは 悪も成長 する床で
 規制しにくく すれば抗議も

| | コメント (0) | トラックバック (0)

異文化

長々と 言い書き連ね 着想は
 短詩に劣る 文化もありか

| | コメント (0) | トラックバック (0)

弱者

世の中は 弱者を生かす 優しさに
 満ち満ちている それに頼って

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自分探し

教育に 欠けたるものは 何だろう
 自分探しの 旅に出ようよ

教育の課程に「自分探し」を必修にしたらどうだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

形式

形式は 文化の形 それなくば
 創造もなし 充実感も

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地を這う人

あはれなり 地を這う人よ 自覚持て
 はばたく準備 自覚にあれば

| | コメント (0) | トラックバック (0)

この世には この世の掟 欲望も
 その一つにて なければならぬ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教師

知る人は 無知を知る人 その自覚
 なければ教師 勤まらないよ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おしゃべり

おしゃべりは 無限に出来る ネット上
 人の前では 無口な人も

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月29日 (日)

『天皇のロザリオ』(感想)

『天皇のロザリオ 上・下』(鬼塚英昭著、成甲書房)については、以前、問題点を紹介したことがあった。少し、整理して、再度、紹介する。

■全体
「1949年6月8日、昭和天皇が大分県別府市のカトリック系小百合愛児園に行幸した時、カトリック教会とマッカーサー、吉田茂によって、天皇をカトリックに回心させる国際大謀略が組織された」として、この謀略の前後を膨大に資料を使って究明しようとしている。

■感想
①日本がカトリックの国になったら、困るのはマッカーサーその人ではないだろうか。彼はプロテスタントなのだから。だから、マッカーサーがカトリック教会と一緒になって、天皇をカトリックにさせようとしたことは、そのことを思えばないはずではないだろうか。

②吉田茂はカトリックだという。臨終間際に洗礼を受けたことは事実であるが、本書では、それ以前から、カトリックと言っている。こういう言い方は問題ではないだろうか。普通、洗礼を受けるとか、一定の集会に加入するとか、そんな過程を通して、信徒と認められるも のである。しかし、著者にとっては、理解を示すだけで、キリスト教信徒と認められるという、甘い信徒の定義があるように思う。現在、日本のキリスト教信徒数は全体の1%、約100数十万ということになっているが、著者の信徒定義によれば、その数倍はいるだろうと思う。いや、もっといる かも知れない。

③著者の基本的スタンスはキリスト教批判なのだが、私には、逆にも思える。励ましているようにも思える。今、キリスト教界には元気がないだろうと思う。日本キリスト教国化なんて、今、誰が考えている のだろうか、と思う。しかし、宣教に行き詰っている弱いキリスト教を批判する人が、そんな大それた思いが教会にあると過大評価している。これは、自分では批判しているつもりなのだが、神が教会を元気づけようとしているようにも思える。不思議なことである。まあ、こんな本を読むと、日本も捨てたものではないと、教会も元気が 出てくるかも知れない。著者の意図に反して、教会を元気づける本を書いてしまって、他の宗教の人たちの顰蹙を買わなければと、思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『天皇のロザリオ』(上巻)

『天皇のロザリオ』の問題と思われる個所を上巻と下巻に分けて紹介する。(●は私の感想)

■上巻

49頁 「敗戦後、マッカーサーは数多くの司祭たちを天皇のもとへ送ってきた」
●司祭ではなく、プロテスタントの宣教師であろう。

66頁 マッカーサーは、1946年9月2日の対日戦勝記念日に、長文の声明を発表したが、その最後に、こんな言葉がある。「日本の占領が文明の進歩に寄与した最大の貢献は個人の自由と尊厳という偉大な概念を日本に導入するとともに、キリスト教の理想がアジアに進出する機会をあたえたことにある、ということを歴史は永く記録するだろう」。これ以降、マッカーサーは、「キリスト教」という言葉を使わなくなるという。
●ここで、マッカーサーは、カトリックについては眼中になかったのである。なぜなら、フィリピンはカトリックの国で、アジアに位置しているではないか。フィリピンを思えば、アジアには、すでにキリスト教の理想が進出していたのである。

208頁 「足軽の下駄番、卒出身の伊藤博文らは、天皇を「生きる神皇」に仕上げることにした。そこでキリスト教を導入した。自らもキリスト教徒に帰依した伊藤は朝廷内部にキリスト教を持ち込んだ。国家神道とキリスト教は驚くほど似ている」
●明治憲法が、西洋のキリスト教のようなものが日本にも必要と認めて、伊藤博文が作ったことは知られている。しかし、伊藤が、それを通してキリスト教を導入したとか、自分もキリスト教徒に帰依したというのは、初耳である。国家神道とキリスト教の類似に着目するのであれば、伊藤ではなくして、平田篤胤を取り上げなければならないのではないだろうか。

294頁 「敗戦直後の文部大臣前田多門(クエーカー)の娘で、美智子皇后と深い関係にあった神田美恵子(彼女もクエーカー)は、」
●神田は神谷の間違いであろう。内村の聖書研究会の会員であった前田多門がクエ ーカーであっただろうか。彼の娘の神谷美恵子もクエーカーだったのだろうか。神谷の場合、学んだ学校がクエーカーではあったけれど。

400-404頁 吉田茂とカトリックとの関係について詳しく書かれている。それによると、吉田の妻(雪子=牧野伸顕・元内大臣の娘)はカトリックで、娘(麻生和子)もそうであった。麻生和子は吉田の秘書役をしていた。彼女の夫は、麻生 多賀吉だあったが、夫もカトリック信者という。(牧野伸顕は元勲・大久保利通の次男)
      
「吉田茂は、日本のカトリックの布教に大いに功ありとして、教皇庁の最高のサン・グレナリオ騎士団勲章を授与されている」(401頁)とあるが、信徒でもなかった吉田茂が、どうして「日本のカトリックの布教に大いに功あり」などという理由がつけられたのだろうか。
      
「吉田茂はカトリックの信仰が厚かったが、洗礼は受けなかった。それは義父の牧野伸顕が「隠れカトリック」でいるようにと説得し続けたためであろう。吉田本人も、信仰表現しないほうが得策であると思ったからにちがいない」(401頁)とあり、麻生和子は、『父吉田茂』の中で、「亡くなった母も私もカトリックでしたから、父も最後には洗礼を受けると約束していました。そうしてまんまと天国泥棒しようというのです」と書いているという。死ぬ間際に信仰を告白しようという人が、ど うして信仰厚い人なのだろうか。
      
しかし、「吉田氏は生前カトリック信者になりたいと家族にもカトリック東京大司教の浜尾文郎神父にももらしていたため、死後の直後に、浜尾神父の司式で洗礼「トマス・ヨゼフ」の名を受けた」(朝日新聞1967年=昭和42年10月23日)
      
吉田茂は昭和42年10月20日に亡くなる。23日、東京カテドラル聖マリア大聖堂で内葬が行われた。
      
麻生和子の娘の麻生信子もまたカトリック信者という。彼女は、三笠宮の第一皇子寛仁(ともひと、通称、ヒゲの宮様)と結婚した。和子の息子の麻生太郎氏は、国会(03年11月26日の参議院予算委員会)で、三位一体の改革について、答弁する時に、「三位一体の改革」の三位一体は神学用語であると述べ、自分を「敬虔なカトリック」と言ったことがあった。

441頁「三男の高松宮は、後述するが、キリスト教に深く帰依していた」
●本当だろうか。今上天皇が皇太子時代の家庭教師がヴァイニング夫人であり、彼女がクエーカーであったことは、日本人であれば誰でも知っている。その影響が皇室に残ったであろうことは、不思議ではない。しかし、だからと言って、皇族がクリスチャンになったとまで、言っていいのだろうか。

446頁 山梨勝之進という人物について、「彼は洗礼こそ受けていないがキリスト教信者であり、学習院の院長であった」
●洗礼のないキリスト教であれば、クエーカーか無教会かとなるが、山梨氏は、どちらなのだろうか。

448頁 1953年に、ヴァイニング夫人は『皇太子の窓』という本を米国で出版している。その中で、夫人が皇太子に対して祈ったことが書かれている。著者は、その部分を引用して、「かのときのヴァイニング夫人の祈りは、皇太子がキリスト教徒になってほしいと願うものであった。そしてその祈りは現実のものとなった。……この時から、弟宮の義宮もクリスチャンとなっていた」
●ここまで書いていいものだろうか。

451頁「私たち日本人は、皇太子(今上天皇)がクエーカー教徒のヴァイニング夫人から、見事にクエーカー教徒の信仰と思想を受け継いだことを知る必要がある」
●皇太子が、ヴァイニング夫人から人格的に大きな影響を受けたことは、日本人なら誰でも知っている。しかし、だから、皇太子はクエーカー教徒になったと言っていいのだろうか。飛躍があると思う。

457頁「はっきり書こう。今上天皇はクエーカーの平和思想の持ち主である。そしてまた、キリスト教を受け入れた天皇である」
●ヴァイニング夫人の影響を受けられた方だ、というのなら、その通りと思う。しかし、自らクエーカーとして生きるとは言われていないと思う。そして、相手が宗教者であれば、それくらいの影響が行使できないで、どうして宗教者かと、逆の問いも出てくると思う。
キリスト教徒であっても、ガンジーを尊敬し、影響を受けることはあるだろう。しかし、ガンジーはヒンズー教徒であった。ガンジーの影響を受けたということで、その人をヒンズー教徒というのは、少し言い過ぎではないかと思う。

467頁「寺崎は天皇の許可を得て、自らすすんでクエーカー教徒となり、」
●寺崎とは寺崎英成のことで、娘さんはマリコといい、日本ではよく知られている。テレビのドラマにもなった。しかし、マリコさんの父がクエーカー教徒とは知らなかった。
昭和天皇は自らキリスト教徒になってもいいと思った時があったようである。しかし、実現はしなかった。なぜか。キリスト教徒といっても、現実は教派への所属を考えなければならず、そこで選択ができなかったのだろう。カトリック教徒になることはGHQが許さなかったであろう。であれば、プロテスタントになるとして、どの教派に所属するのか、そして、その教派の、どの教会に所属するのか。
個人であれば、簡単な問題であるが、国の象徴ともなると、そうではない。天皇が日曜ごとに、特定の教会の礼拝に出席する姿を考えることができるだろうか。 そんな教会が日本にあるのだろうか。

最後の項目「かくて、皇太子はキリスト教徒になった」
●少し刺激的である。しかし、決定的な言葉はなく、ただ著者の推測という一面もあるように思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

『天皇のロザリオ』(下巻)

以下に、疑問点を記す。

■下巻

14頁「このスペルマン枢機卿が、日本をカトリック教国にしようとしたのである」
18頁「スペルマンは1948年6月に来日して、マッカーサーとともに、日本をカトリックにする工作に入るのである」
●スペルマン枢機卿とはニューヨーク大司教だった人物である。

「日本をカトリック教国に」ということは、著書によれば、天皇をカトリック信者にしようという計画のことである。しかし、とても、それは無理と思う。誰が天皇を洗礼を授けるのか、どの小教区に所属するのか、日曜ごとにミサに出るのか、これらは、日本国の象徴ではなく、単なる1個人であれば、何の問題もないのだけれど、日本国の象徴という「職責」を持つ人物が、個人の権利として行使しようとするならば、「職責」の面との整合性がとれなくなり、日本は逆に不安定になるだろう。それに、米国人の歴史を考えたら、日本がカトリック国になったら、逆にやりにくくなるに決まっているのである。彼らはカトリックから逃亡してきた人たちの子孫なのである。
ただ、キリスト教に理解を持つ国を造るというなら、それは当然の試みであり、憲法の精神を考えたら、既に国民は教えられているのである。しかし、それは「カトリック教国に」ということを意味しない。」

29頁「マッカーサーはスコットランド系であり、エスコペリアン派(長老会派ともいう)に属する。この派はアングリカン(英国国教派)と同様に、ローマ・カトリックと歴史的に深い関係がある。」
●「エスコペリアン派(長老会派ともいう)」の部分がよく分からない。
長老会派はプレスビテリアンという。エスコペリアンはエピスコパルの間違いではないか。それは監督教会のことであり、英国国教会と同じ立場の教会である。そうであれば、長老会派ではない。長老会派の神学は、カルビン系であるため、カトリック的な英国国教会に満足できない、それで米国移住となったのである。

71頁「この年の『聖書の智恵』(十一月号)で、内村鑑三の高弟の一人で皇居でキリスト教を講義したこともある塚本虎二博士は…」
●『聖書の智恵』ではなくて、塚本が出していた伝道雑誌「聖書知識」のことではないだろうか。また、塚本は何かの博士号を持っていたのだろうか。

85頁「マッカーサーは、日本をカトリックの国にするために、」
●こういう言い方が頻繁に出てくるのですが、私には信じられません。カトリックではなくて、キリスト教を受け入れる、理解する国という言い方なら、納得します。
日本がカトリックになって、問題を抱えるのは米国だからです。彼らの西部開拓史は、日本がカトリック国になったら、それが壁になって、そこで止まってしまうでしょう。まさか、英国に戻ることもできないでしょう。

129頁「法政大学の学長であり、政治的にも活躍した著名なクリスチャンの松下正寿は…」
●松下氏は、「法政大学の学長」ではなくて、「立教大学の総長」であった。

153頁「もし、あの別府で、天皇がキリストの像の前で跪拝していたら、賀川の伝道に賛同した決意者たちが進んで賀川のもとで大運動を展開していたにちがいないのである」
●天皇がキリストの像の前で跪拝」というのは、著者によれば、日本がカトリックの国になることを意味している。それはプロテスタントにとって必ずしも喜ぶべきことではない。この違いが著者には分からないのである。著者にとってはカトリックもプロテスタントも同じなのだが、それではヨーロッパの近世は謎であろう。米国の誕生だって謎であろう。

172頁「世界のキリスト教の頂点にあるローマ・カトリックにより、天皇はカトリック信者になるであろう。そして天皇は、日本をカトリックの国家と宣言するであろう。しかして、プロテスタント諸派はカトリック教国化された日本で実質的な指導力を発揮するであろう。アメリカではカトリックとプロテスタント諸派がともに活動しているように」
●どうしてこんな認識が生まれるのだろうか。日本がキリスト教国になるならいいが、カトリックの国家になるということは、プロテスタントにとっては不利である。
厳しくカトリック批判を継承していくならば、かつての英国であったように、新天地に移住しなければならないであろう。しかし、今、そんな新天地はない。この狭い国土にい続けるしかない。その時、プロテスタント諸派のことを考えれば、カトリック信徒も、日本がカトリック教国になることには反対するであろう。

218頁「伊藤博文は自らキリスト教徒となってきりスト教を導入し、一神教たる天皇教を作った」
●こういう言い方は誤解されるのではないかと思います。もし事実であれば、こんな重大なこと、どうして学校の教科書に記載されないのかと思います。記載されれば、検定を通らないかと思います。
伊藤博文が明治憲法の草案を作る時、西洋の宗教のようなものが日本にあればと思ったことは事実である。しかし、それを考えた時、仏教も神道も不十分で、ただ、皇室のみ、その役割を期待できると考えた。こうして、国家神道ができていった。
しかし、伊藤は、明治憲法の中にキリスト教を導入したのではない。ただ、日本にも、それに代わるものが必要と考えただけであった。その認識をもって彼をキリスト信徒とみなすことは出来ない。著者は伊藤博文をキリスト信者というのだが、そう考える人は、他にいるのだろうか。私はびっくりした。

264頁「義宮は完全なるキリスト教信者である」
●なぜか。ただ、キリスト教に好意を抱いている、それだけの理由ではないか。
それだけで信者と言えるのであれば、日本には、どれほどの信者がいるか知れない。キリスト教に好意を持つ人は、日本には少なくないからである。

294頁「私たち日本人は、宗教のことを考えないように教え込まれている。だからこそ、キリスト教は日本に狙いを定め続けているのだ」
●これは政教分離で、公立学校で宗教を教えられないという意味なのだろうか。
しかし、僧侶や作家の仏教紹介の文学活動は盛んであり、宗教に無関心な国民ではないであろう。そして、逆にキリスト教の活動がしぼんで見えるのは、そういう地盤に対する理解が少ないからかも知れない。翻訳本に頼っているからかもしれない。著者が紹介した無数の断片は、キリスト教を警戒せよ、というのが、本来の目的かも知れないが、逆に親近感を持たせるものとなっているかも知れない。
そんな感想を抱くのである。

320頁 『週刊文春』2004年6月24日号の記事の紹介がある。皇太子と親交にある鎌田勇という人が雅子妃のことを書いているという。「雅子さまは、ヨーロッパ中世に新教徒と旧教徒の間で起こった宗教戦争にずいぶんお詳しいそうですね」、と。
●ここで、どうして「中世」なのだろうか。中世には新教はいなかったはずである。中世ではなくて、近世の間違いではないのだろうか。もし、この言葉が、そのまま『週刊文春』に掲載されていたとすれば、『週刊文春』の信用は落ちるのではないだろうか。

第9章「キリスト教伝来と日本の危機」
●キリシタン批判を強烈に展開している。教会は、こういう問題に応えなければならないだろう。日本宣教の不振というものは、教会が、これらの批判に応えないからである。教会の歴史的行動の罪というものには歴史的制約というものもあったと思う。現在も、そのままと思ったら、大間違いであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

小泉史観

小泉に 弁証法の 史観あり
 去りし敵見て 思う胡主席

| | コメント (0) | トラックバック (0)

汚職

我が前を 大金過ぎる 商人は
 我慢できるか 清潔政治

| | コメント (0) | トラックバック (0)

麹町

麹町 越路さん出た 場所という
 殺風景な 景色はなぜか

隣には お城がありて 昔時には
 大江戸守る 武士の気概も

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自意識

我は我 あなたはあなた 自意識は
 人無数いて ただ一つなり

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サークル

新聞で 取り上げられし 創設時
 何もしないで いいのだろうか

IT社会 地域活動 重視して
 全国の輪は ネットで結ぶ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二重予定

知りたいが 知りたくもない 我が予定
 あやつられつつ そうと知らずに

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自立心

絶対の 孤独の中で 人は消え
 人の助けを あてにできない

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月28日 (土)

起業

起業して やがて離れる 時が来る
 離れたあとを まず考えよ

生きて死ぬ 死で終わりなら 何しても
 無意味でないか 答えいずこに

時を経て 連綿続く 事業あり
 始めた人に その自覚なし

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新社会

病人も 障害者らも 生きられる
 社会を造る メメントモリで

| | コメント (0) | トラックバック (0)

方言

日本語は 世界から見て 方言で
 方言のみで 生を終えるか

| | コメント (0) | トラックバック (0)

病人

神さまに 愛されている 病人は
 愛を教えて 関係変える

関係とは人間関係。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月27日 (金)

夢生まれ 根をおろすまで 待ち続け
 ゆっくり動く 実現に向け

夢というものは、その人の人生そのものですから、焦る必要は全くありません。じっくり腰を落ち着けて、条件を少しずつ満たしていき、漸進していくことが肝心です。急進はいけません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

通過駅

若き日の 通過駅だと 思ったら
 絆一生 相手の思い

特に出身学校、部活、クラス会などがそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ニヒリズム

ニヒリズム 居直りのよう 西谷氏
 着眼よいが 結論どうか

故西谷啓治氏がニヒリズムに取り組まれたことは、著書があることで分かります。かつて読んだことがありますが、印象が鮮明に残っているわけではありません。しかし、その着眼は正しいと思いました。どう解決するのか、『憧憬の神学』にも、その解説と批判が書かれています。私も、やはり結論部分には無理があるのではないかと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

普遍

普遍とは 国際主義と 皆が言う
 北朝鮮は 何を普遍に

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月26日 (木)

応援

応援の 力示した 日本ハム
 なぜ燃えるのか 北の大地で

| | コメント (1) | トラックバック (0)

ケイタイ

ケイタイが 出回ったとて 淋しさは
 解消できず まぎらわすのみ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教団

福音を 伝えっぱなし 後悔す
 成長の場を 確保しないと

宗教にとって、教団はやはり必要と思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ニュース短歌

ニュース詩を 古本市で 見つけたり
 ニュース短歌が あってもいいな

阿久悠さんの本に「ニュース詩」という詩がありました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

岩崎本邸

Rimg0049 岩崎の 本邸訪ね 非業の死
 遂げた竜馬の 面影探す

坂本竜馬が、あのような最期を遂げなかったとしたら、もっと生きていたら、岩崎家が、あのような財閥になったかどうか、そんなことを考えていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コメディアン

コメディアン 二人の自分 使い分け
 人を笑わせ 自分も笑う

| | コメント (0) | トラックバック (0)

神観転換

有神の 神論変える 時なのか
 汎在の神 西田も主張

西田幾多郎も真実の神は汎在神論の神だと言っていたとか。私が、この言葉を知ったのは、井上神父が書いていたからでした。それまでは有神論という言葉しか知りませんでした。もちろん、有神論の中に汎在神論的神の要素は含まれていたのです。

小田垣氏は『憧憬の神学』の中で、汎在神論の立場を擁護しています。

有神論は無神論と対立していて、二元対立です。しかし、そんな神を超える神が真実の神だという主張なのでしょう。

有神論から汎在神論への神観の転換の中で、諸宗教の対話は進展していくでしょう。諸教派の対話も可能かも知れません。

教派・宗教の対話のためには、それらについて、ばしばし語ることなのかも知れません。その意味で、ひろさちやさんは、よいお手本と思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

傍観者

不思議だね 見方によって 善となり
 また悪となる ほんと知りたい

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月25日 (水)

般若心経

深夜便 般若心経 その奥に
 原子論あり 反響いかが

深夜便の「こころの時代」で、生命科学者の柳澤桂子さんが、般若心経には原子論があると言われていました。こんな発想は初めてで、言われれば、そう思えるし、面白かった。内容は11月の雑誌に書いてあります。

ところで、反響が気になります。もし反論がないとすれば、仏教は理性の内なる宗教ということになりますか。もし、反論があるとすれば、どういうものでしょうか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

ブログ社会論

ブログにて 日記人口 増え続け
 絆広がり 新社会論

ブログの利用者は、これからも増え続けるでしょう。それは、簡単な更新とアクセス解析のためと思います。本当に誰にでもホームページ開設が可能になったという思いが強くしています。

ブログには社会変革の起爆力があると思います。そこで新しい社会論が生まれるでしょう。今は、その過渡期と思います。変化を注視していきたいと思います。

日記は自分のために書くものでした。そこには自分の気持ちを整理する意味があるかも知れません。しかし、それで終わってしまっては、余り意味ないと思います。

内村鑑三は公開日記を自分の雑誌に載せていました。貴重な情報が、そこにありました。その後の無教会の独立伝道者たちにも、そんな試みがあります。しかし、今、ブログによって、本という形にまでもっていかなくても、公開日記が誰にでも可能に時代になりました。この意味は大きいと思います。

行燈からガス灯の時代になり、電灯が社会を明るくしだしています。恐らく、電灯の周りに、新しい仕事が生まれてくるのだと思います。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

『憧憬の神学』

近くの図書館で、『憧憬の神学』(創文社)という本を借りた。著者は小田垣雅也氏。同氏には、『ロマンティシズムと現代神学』『ネオ・ロマンティシズムとキリスト教』という本があるのだが、そちらは読んでいない。ただ、講談社学術文庫から出た『キリスト教の歴史』は分かりやすく書かれていて面白かった。続いて同版元から出た『現代のキリスト教』も感銘を受けた。バルト神学の理解など、大いに共鳴した。

今、日本のプロテスタントの世界で、日本の思想とキリスト教を合わせ論じている人は、どれくらいいるだろうか。単なる紹介ではなく、自分の論を立てている人は、そんなに多くはないと思う。そんな人の一人が小田垣氏なのだと思う。カトリックでは井上神父とか、小野寺功氏などがいて、未踏の地を行くが如くである。そのような試みが必要とされてもいる。

『憧憬の神学』第2章の後半で、小田垣氏のカトリック思想批判もあるが、それはカトリック思想の一部なのではないだろうか。自然から超自然への道があるというのがカトリックであり、ないというのがプロテスタントという理解は事柄の単純化ではないかと思う。トマスは恩恵論に関しては、ペラギウスでも半ペラギウスでもなかった、ということを確認すればいいのではないかと思う。しかし、一般には、トマスの立場は半ペラギウスであり、それはペラギウスにつながっている、と見られているかも知れない。よく議論したらいいのである。

日本には仏教という思想が厳然と存在している。キリスト教思想家も、仏教との対話なくしては、この国では余り影響力を及ぼすことはできないかも知れない。その意味で、小田垣氏は貴重な存在といえる、と私は思うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自殺論

自殺には 傲慢がある 彼岸への
 乗り物なれば 賜るものだ

人間は遅かれ早かれ死ぬものです。そして、死が「彼岸への乗り物」であれば、自殺によって、その乗り物に乗ろうというのは、少し虫が良すぎるような気がします。もちろん、自殺者には、そんな心の余裕がないでしょう。それはそうでしょう。しかし、やがては健康な人でも多くは病気で死ぬのですから、死を急ぐ必要はないと思います。生ききってから死ねばいいのです。

死が彼岸、あるいは天国への乗り物であれば、それは、彼岸、あるいは天国から差し出されたものでしょう。でなければ目的地には行かないと思います。そんな思いの中には、死は不安、恐れというよりも、ある種の喜びといったものがあるかも知れません。

死は自分の問題です。自殺できるということは、自分の死を自分で選択できるということです。しかし、確かにそうなのですが、それは同時に、自分の周囲にいる人たちの問題でもあります。この点が、自殺者には見えていないかも知れません。自意識というものは、自分の原点であり、そこでは自分のことしか見えないかも知れません。しかし、自分というものが、周囲の人たちとの関係の中に置かれていることも、自分にはよく見えないかも知れないけれど、事実です。自分は知らないけれど、自分が知られている、そんな多くの人たちがいます。自殺は、その人たちの心にも何事かの影響を残します。生きるということは自分のことですが、同時に、自分が見ていない、しかし自分を見ている多くの人たちの問題でもあるということ、そんなことをちょっと考えてみてもいいのかな、と思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月24日 (火)

「異言」管見

聖書に「異言」という現象が記されている。ペンテコステ教会は、その現象が現代でもあると主張する。「聖霊のバプテスマ」のしるしとも言う。異言には聖霊の働きの一つという意味と、聖霊を受けたという意味の両方があり、「受けた」という意味で「聖霊のバプテスマ」を主張しているのだろう。そうなると、異言の現象がない場合には、聖霊を受けていないということになり、別の教派からの反発を受けることになるかも知れない。

初代教会への回帰を求めて、ルターに始まる宗教改革はルーテル教会を生んでいったが、一方、カルビン系の諸教会は、その徹底を叫んだ。そこには、第二の宗教改革、あるいは宗教改革の徹底が自分たちの側にあるという自負がある。しかし、教会組織を否定したわけでもないし、また、初代教会が経験した「異言」に力点を置いたわけでもなかった。その結果、多くの教会組織が出きて、教派主義が生まれた。

日本の無教会には、その教派主義への批判があり、その意味で、第二の宗教改革、あるいは宗教改革の徹底といった意識が無教会の中にもあった。しかし、そこでも、「異言」については触れられていなかった。

初代教会の「異言」が現代に回復するとすれば、それは聖書が、それだけ真実にものとして現代人の心に蘇ることを意味するのかも知れない。しかし、それでも非神話化が無用になったわけではないだろうと思う。

ペンテコステ教会が、宗教改革の徹底の意味を担っていると思うのは、筋が通っていると思う。理論的のみならず経験的にも聖書時代に戻る主張だからである。しかし、すべての信徒に異言の経験を求めるのは、どうなんだろうか、と思う。新生経験を異言経験とすべて同一化することには、メソジスト、ホーリネス系教会などは多少の抵抗を感じるのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

グラハム牧師追想

新生と 回心求め 世界ゆく
 グラハム牧師 勇姿脳裏に

世界的な巡回伝道者のビリー・グラハム牧師はメソジストであってもいいように思うのですが、教派的背景はバプテスト教会です。バプテスト教会はバプテスマは浸礼という主張ですが、形式よりも、実質的な新生経験の強調なのだと考えれば、バプテスト教会の牧師としてのグラハム氏も理解しやすいと思います。しかし、今では、教派的存在を超えているようにも思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ミサ

祭り終え 週1望む 心あり
 ミサの本質 そのへんかもね

日本では年1回の祭り。しかし、もっと多くてもいいのかも。祭りは大切と思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

改革精神

改革は 人を蹴落とす 風潮を
 広めていじめ 学び舎に満つ

改革と いじめの両者 因果あり
 いやないだろう 議論これから

改革は 生活速度 増すことで
 質の実感 遠ざかるかも

改革は スローライフの 対極で
 禅僧の価値 見えなくするか

改革で 人の生き方 問うならば
 最終ゴール どこにあるのか

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超越と内在

金子みすずの詩の中に「蜂と神さま」というものがある。次のようなものだ。

蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。
そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂のなかに。

内村鑑三の墓碑にも、同じような言葉が記されている。しかし、最後の言葉はない。「神さまは、小ちゃな蜂のなかに」という言葉である。この点では、内村よりも、みすずの方が真相に近いのではないだろうか。神の「超越と内在」の両方を、みすずは語っているとしたら、しかも、26歳で亡くなった人が言ったとしたら。そんな驚きが走るのである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年10月23日 (月)

中印眺望

中印の 興隆顕著 現代は
 古代文明 回帰の時か

中印は中国と印度のこと。現代の大国、米国と言えども、中印の歴史に比べれば、新興国に過ぎない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

長征

長征は 終わっていない と胡主席
 歴史ロマンに 生きる民族

「我々は新しい長征の途上にある」と、「長征」70周年記念式典で、胡錦濤国家主席が演説。式典は10月22日、北京人民大会堂で行われた。

長征は1936年10月まで、2年間続いた、中国共産党の北方大行進。

主席は、「和諧(調和)社会」の実現を目指して、「中国の特色ある社会主義建設」を呼びかけた、という。
(以上、東京新聞06年10月23日)

ひるがえって、日本民族は、どうなんだろうか。敗戦後の憲法と日米条約で規定された国家経営だが、そこにロマンはあるのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新車ショー

ポンコツ車 新車ショー見て 感動す
 ショーにはかつて 縁なく来つつ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月22日 (日)

文豪

ペンと紙 あれば世界を 動かそう
 文豪の意気 核も及ばず

現代にもトルストイのような文豪がいたらなあ、と思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ドトール

ドトールに 毎日通う 人がいて
 都会の中の オアシスに似て

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高齢化社会

リュック背に 老い見えし人 とぼとぼと
 たそがれてゆく 日本断面

日本の一面であり、もちろん全部ではありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

嘆息

本が出来 手に取って見て 嘆息す
 自由の固定 無限の否定

「自由の固定 無限の否定」がなければ、社会に影響を及ぼすことは出来ず、何事も起きません。「有限から無限へ」と同様に「無限から有限へ」にも意味があると考えなければなりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

玉砕の地

玉砕の  地で助けられ 兵思い
 神を連発 感極まりて

10月22、23日のラジオ深夜便「こころの時代」を聞いて。「兵思い」は、「自分を助けてくれた兵を思って」という意味ですが、その助けてくれた兵の「兵思いという意味でも、通じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

北朝鮮

元たどれ 将軍様に どんな価値
 その源泉に 国の命運

| | コメント (0) | トラックバック (0)

うっとり

地下鉄の 中吊りに見る 美人たち
 そのほほえみに しばしうっとり

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イエス・キリスト

約束の 人は汝(なれ)との 思いして
 新たな名前 告白示す

イエス・キリストという言葉は、姓名を表していません。「イエス=キリスト」という信仰告白の言葉です。しかし、一般的には、それが欠落して、使われているように思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

軌道修正

安部首相 意見修正 問われてる
 幕末維新 長州武士は

表向き 攘夷叫んで 政権を
 得たらとたんに 開国走る

藤村の 父の不満が 政権の
 内にくすぶり 核武装論

岩倉の 子孫を見よや 信仰者
 嫌った教え 多く信奉

藤村は島崎藤村のこと、父については小説「夜明け前」に描かれています。岩倉は岩倉具視のこと。子孫にはキリスト教信徒が多いのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月21日 (土)

図書館

我を読め 我をも読めと 本棚が
 語りかけてる 町の図書館

| | コメント (0) | トラックバック (0)

金子みすず

みすずさん 発想奇抜 驚きに
 信仰心を 感ずる我は

| | コメント (2) | トラックバック (0)

教師論

教師とは 実は激しく 学ぶ人
 更新試験 学びの刺激

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超経験論

五感超え 内にうごめく ものがある
 経験論を 超える何かが

| | コメント (0) | トラックバック (0)

口語短歌

短歌読む 文語のようで 分からない
 口語短歌 私推薦

短歌をただ字数の制約のみで、他の制約なしという条件で、自分の思いを綴る。そんな試みをしてもいいのかな、と思いました。専門家からは短歌ではないと言われるでしょうが。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

サッカー人生論

サッカーも たかがサッカー オシムさん
 いや人生だ みんなファンに

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月20日 (金)

めいそう

迷走す わが半生に 目当てなし

瞑想す 絆なくして 迷走す

瞑想や 絆見つけて 名僧へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

薄明の祈り

深夜便 夜明け前の 祈りなり
 これありてこそ 日本安泰

| | コメント (0) | トラックバック (0)

改革者たち

教育も 医療も同じ 危機的だ
 叫び聞きつつ 改革者たち

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イラク戦争

十字軍 撤回したが イラク戦
 泥沼にふと 真相なのか

| | コメント (0) | トラックバック (0)

失格

優勝の ほかは皆だめ 三位でも
 失格になり 救われたかも

凱旋門賞に参加した日本の馬ディープインパクトに禁止薬物が見つかったとのことで、失格になるもよう。この馬にとって、優勝以外は皆負けなのだから、負けいう点では失格になっても同じ。動機に不名誉なことがなければ、むしろ失格になった方が、三位で名をとどめるよりも、あるいはよいかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月19日 (木)

決意

五月雨は 我が誕生の 月雨ぞ
 それを集めて 最上川とす

| | コメント (0) | トラックバック (0)

再会

逝きし人 遠くになりて 近くなり
 日々懐かしく また会う日まで

| | コメント (0) | トラックバック (0)

神秘主義

神秘主義 我はキリスト 媒介を
 その体験に 求む者なり

シュバイツァーがパウロの神秘主義について語っているところでは、キリスト神秘主義と神神秘主義があるとか。パウロはキリスト神秘主義であったと。別の本では、クエーカーには両者が混在していると、本で読みました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

北朝鮮の信念

冷戦を 頑なにまで 守る国
 その信念は 何に由来か

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ゲンメイ

靖国で 唐氏の言葉 ゲンメイは
 言明なのか 厳命なのか

小泉首相の靖国参拝問題で、中国の唐家?国務委員が「(靖国神社に)行くなとゲンメイしました」と語っているシーンが、テレビで放映されました。日本語で「ゲンメイ」という言葉を使っていました。私は、言明の意味だろうと思っていました。今でも、そう思います。しかし、もし、厳命であったとすれば、その時は、少し言い過ぎのように思います。発音だけでは、どちらとも解釈可能ですが、二つは別の意味を持っています。言葉は難しいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

北朝鮮

今知らず 北朝鮮の 国内に
 無数の美談 あるであろうに

戦前の日本と、今の北朝鮮、どこか似ているのではないでしょうか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年10月18日 (水)

結婚

結婚は 人生の賭け 月日経て
 当人らにも また家族にも

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大志

欲望は 身を滅ぼすと 言うけれど
 移住成功 大志感動

| | コメント (0) | トラックバック (0)

欲望を かき立てんとて 街活気
 少欲者には どこ吹く風だ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お化け

誰も皆 お化けは怖い それ故に
 レッテル貼って しばし安心

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本の祈り

素人の 私にとりて 写生には
 祈りのかたち 見つけられずに

祈りとは 短きものに おさむべし
 俳句短歌は シュプレヒコール

ここでの「写生」とは俳句における客観写生の意味です。俳句短歌は祈りであるべきではないか。それは日本のシュプレヒコールなのではないか。そう思います。しかし、伝統的な俳句短歌は写生重視の中で、祈りの部分が弱いのではないか、祈りを主体にした俳句短歌、日本の祈りを作るべきではないのか、そんな思いを持っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

政熱

ほっとした 国民多し あの言葉
 政熱希望 中国主席

10月17日、中国の胡錦濤国家主席が、扇千景参議院議長に「政熱経熱」を希望したという。ほっとした国民も多いだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

課題

いじめられ 自殺するより 不登校
 子らの選択 いずれも課題

| | コメント (0) | トラックバック (0)

深夜便 こんな人らも いるのかと
 何度も思う 夢ではないか

「何度も思う」は、その前後の言葉に関係しています。インタビューを聞いていて、自分と比較して、その落差を感じて、驚いたり、感心したり、これは一体なぜなんだ、と思ったり。

本当に人生、いろいろです。

先の者があとになり、あとの者が先になったり、その人の生き方を見た時、今の世にも奇跡のようなものがあるのだな、とつくづく思います。

それにしても、自分は情けない人生を送っているなあ、とも。その思いを与えられるだけでも、この番組は貴重ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月17日 (火)

流転

就職し 安定得たが 人生は
 これで終わりか 少し淋しい

さみしさで 失職したか 深き因
 自分探しの 時が始まる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

古池

騒がしき 日本の中で 古池は
 その対立に 価値失わず

芭蕉「古池や蛙飛びこむ水の音」
蕪村「五月雨をあつめて早し最上川」

日常は競争です。その中で迷いは禁物です。迷いが出れば、原点に戻るべきです。原点は「古池」です。そこで、新しい価値観を再構築して、再び、競争に戻ればいいのです。そして、競争とは「最上川」です。「早し」は、迷いのない状態です。それは「五月雨をあつめ」る努力によるものです。

静と動、この二つは人生にあって、なくてならぬものと思います。静だけでもだめ、動だけでもため、静と動の二つが必要です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ピョンヤン

ピョンヤンの 平静われに 分からねど
 ニュースに走る 警告のよう

抜いた・抜かれたのニュース的時間を、あたかもあざ笑っているかのように、別の時間を刻んでいるのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自民党有村治子議員

大老の 暗殺参加 脱藩し
 その子孫いま 国政参加

さわやかなホームページがあります。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

進化論

天使のしっぽをつかまえること
それが人類の悲願、進化の目標

こうして、コンピューターが生まれた
しかし、コンピューターは天使ではない

コンピューターは天使のしっぽか
いや、悪魔のしっぽかもしれない

悪魔も、以前は天使であった
福と禍は、人類に同時に迫っている

人類が自力で天使になれたら
進化論を認めよう

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スポーツ選手

持てるもの 極限までも 放出す
 スポーツ選手 深呼吸なり

スポーツ選手に学ぶものは深呼吸なのだと思います。その深呼吸は体の健康のためでもあるし、また精神の健康ももたらします。その意味で、スポーツ選手は、社会の健康に大いに寄与しているような気がします。

深呼吸をしない人、知らない人が多いと思います。大切なのは、自分が見本を示すことかも知れません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月16日 (月)

童謡

深夜便 童謡聞いて 価値認む
 新曲出ぬは 何故なのだろう

新曲は作られているのかも知れません。しかし、一般には余り知られていないと思います。流れているのは、昔の曲ばかりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

癒やし

宗教が 聖化忘れて 進む時
 巷に溢る 癒やしの叫び

癒やしというのは聖化の一部なのだと思います。ホーリネス教会の「新生・聖化・神癒・再臨」は信仰の4本柱として、よく知られていますが、そこでは聖化と神癒が区別されています。しかし、救世軍やナザレン教会の中では新生・聖化が強調されています。それは、この二つが確実にあれば、あとの二つ、神癒・再臨も、そこから健全に引き出されるという理解があるのかも知れません。少なくとも、聖化に含まれている神癒の要素を無視して、「奇跡的」神癒のみを追求するのは、どうなのかな、と思います。

カトリックでは、ルルドの奇跡が、よく知られています。これなどは、「奇跡的」神癒というものとして知られています。著名な医学者が、それを肯定しているのですから、真実なものがあるのかも知れません。しかし、聖化を無視して、それにのみ走るのは健全ではないと、私には思えます。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

優しい社会

子どもいて 障害者らも 老人も
 皆いる社会 優しい社会

| | コメント (0) | トラックバック (0)

多様性

人種あり 民族もあり 多様性
 知らずして 逝く人多し

| | コメント (0) | トラックバック (0)

文化

文化とは 軸を見つけて 付け加え
 社会形成 真の交流

| | コメント (0) | トラックバック (0)

欧米

欧と米 やはり違うな 比較して
 歴史の違い 欧は深いよ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本文化

つまみ食い 日本文化だ ドンと来い
 無限包容 何でもござれ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月15日 (日)

吉満義彦の影響

吉満義彦の弟子に、どんな人がいるのか、よく知らないが、詩歌において影響を受けた人は多いらしい。私には未知の人たちが、ぞくぞく紹介されている。

『講座日本のキリスト教芸術 3 文学』(富岡幸一郎・責任編集、日本キリスト教団出版局)の中で、神谷光信氏が「戦後の詩とキリスト教」というタイトルの中で詳しく紹介している。

岩下壮一と吉満義彦について、「今日、彼らの存在は不当にも忘却されている。しかし、とりわけ吉満義彦については、戦後のキリスト教詩の出発時における隠された原動力として無視することができない」(115頁)という。なぜ「不当にも忘却されている」のだろうか。第二バチカン以前の人たちという見方があるのかも知れない。

吉満は、カトリック文芸誌『創造』(1934-40年)の巻頭評論を書いていた。この雑誌を見たいと思っていたが、割合近くにあった。四谷の聖三木図書館にバックナンバーがあった。

神谷氏は、『創造』と同じ頃に仙台で同人詩の活動をしていた農民宗教詩人の長谷部俊一郎にも触れている(116頁)。この人は牧師であった。原稿を見たことがあるが、特徴のある字体で、当時、どこか島崎藤村の字にも似ているようにも思った。

吉満の影響を受けた人として、澤村光博(1921-89)、島朝夫さん(1920年生まれ)などを挙げている。また、日本キリスト教詩人会の同人である喜春子さん(1932年)は吉満の血縁者であるともいう(121頁)が、未知の人である。藤一也さん(1922年生まれ)も、「吉満義彦から主題を、澤村光博から展望を与えられた」(126頁)のだという。

吉満義彦の影響を受けた詩人たちについては、今まで余り知られなかったのではないだろうか。神谷氏の紹介文には「近年は、日本近代のカトリック知識人を幅広く研究」とあるが、新しい関心の芽生えのように思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

道徳教育の再建

私は学校教育で道徳教育というものを教わった経験はない。今、この教育が、どのように行われているか知らないが、一つの提案がある。

今、これが道徳だという形で、子どもたちに道徳規範を教えることはできないであろう。それができる、復活せよという流れには、私はいくらか批判的である。教育基本法改正問題が政治の課題になっているが、その中で、そんな議論が生まれても、批判が強いのではないだろうか。

しかし、道徳教育を何らかの形で行わなければ、子どもたちの未来が心配なのも事実である。子どもたちに現代社会を力強く生きていってもらいたい願いが、教育基本法問題にあるのだろう。いじめられて自殺するような子どもではなく、そんな環境を跳ね返し、自分で主体的に生きていける芯の強い子どもにするには、どうしたらいいのだろうか。

現代社会の中で生きる方法を、子どもたちに与えなければならない。書店などでは、ハウツーものは多い。生き方に関心を持つ子どもは、それらを読むであろう。しかし、身につくのだろうか。身につけさせるためには、自分で表現しなければならないのである。表現し、他者に伝え、その交流の中で、ようやく身につくようになるのである。学ぶことは教えることにつながらなければ、学ぶ意欲が失われてしまう。

そこで、生き方関係文献で読んだものを、短歌形式で表現する、それを発表する。そんなことを道徳教育の中で実践したらどうかと思う。短歌だから、誰にでもできる。そして、自分で作ったものは忘れないであろう。こうして、生き方のノウハウを日常的に蓄積していけばいいのである。

自殺を選ぶ子どもたちが多い。いじめの環境に謝罪する学校の責任者があとを絶たない。しかし、環境をよくして、自殺志望者はいなくなるのであろうか。悪い環境を乗り越えていく心を育てなくてはいけないのではないだろうか。道徳教育の眼目は、そこにあるのではないだろうか。

いろんな方法があろうが、試行錯誤でもいい。いじめによる自殺児童があとを絶たない現在、余り時間は残されていないと思うべきである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

近代の陰

近代の 日本で知らる 新教徒
 対立側に 意外な人も

近代日本ではプロテスタントがよく知られていますが、意外な人たちがカトリックに入信しています。興味深い事実です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地下鉄のポスター

凛とした 鼻の上下の 目と口が
 何か言ってる 電車の女性

クロレッツのポスターの女性です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

年金

年金は 世代の融和 前提す
 新たな統治 終身の民

| | コメント (0) | トラックバック (0)

平和憲法

いただきし 平和憲法 ありがたし
 ドグマとなりて 問答無用

律法は尊い。しかし律法主義は批判される。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

現代社会断面

独り言 ネット公開 真実が
 知らず漏れてる 現代社会

マスコミは 危機をあおって 生き延びる
 危険度問えば 核兵器並み

ケイタイは 小学生も 持っているよ
 便利なものは 伝わりやすい

| | コメント (0) | トラックバック (0)

救い

新生を 救いと同義 みなしたり
 救われてない どこか差別語

救いまだ 旅路終わらず 今日もまた
 命躍動 追い求めつつ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自殺希望者諸君

人は皆 いつかは死ぬよ その時を
 楽しく待とう あわてないでね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

介護

妻介護 政治家やめた 人ありき
 万人よりも 一人のために

| | コメント (0) | トラックバック (0)

苦しみ

苦しみも やがて終わりが あるのだよ
 一日過ぎれば それに近づく

死が解放を意味する、そんな人生もあるかも知れません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月14日 (土)

与謝野夫妻の信仰

与謝野晶子の名前を知ったのは高校時代であったと思う。「君死にたもうことなかれ」という有名な詩の作者としてであった。そのあと、夫に鉄幹(寛)という名の人がいたことを知った。それ以上の知識はなかった。

今日、この夫妻がカトリックの洗礼を受けていたことを知った。「寛・晶子夫妻は最晩年カトリックに入信している。同人の「信仰派詩人」大井蒼梧、次女七瀬、六女藤のカトリック信仰に導かれ、寛は臨終洗礼を受けた。晶子も死去の二年前伊藤庄治郎神父から洗礼を受けた」(『講座 日本のキリスト教芸術 3 文学』日本キリスト教出版局、181頁)

伊藤庄治郎神父(のち司教)は既に故人だが、お会いしたことがある。寛・晶子夫妻は近代日本の有名人に入る人たちだが、その業績にとって、信仰は、どうでもいいことなので、これまで触れられてこなかったのだろうか。

それにしても、引用した文献には、俳人・歌人で未知の人たちが大勢いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

それ行け

毎日が インマヌエルだ それ行こう

| | コメント (0) | トラックバック (0)

俳句口ぐせ論

口ぐせで 心変えよう その時は
 短歌に比べ 俳句がいいな

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カウンセラー

一人との カウンセリング 万人を
 相手にもして そこに宇宙も

聖書には羊と羊飼いの例えがあります。迷わない99匹の羊の番人を一時中止して、迷い出た1匹のために苦労する羊飼いの物語です。

これは、99匹よりも1匹を大切にする、1匹のために99匹を犠牲にするという意味ではないと思います。

カウンセリングは一人相手ですが、実は万人を相手にしていて、そこにはまた宇宙も現れていると思います。

国際政治面では、現在は北朝鮮にかかわることが、全体にかかわることになっています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月13日 (金)

犠牲

アーミッシュ 私を先に 銃の前
 子らの思いに 世界震える

10月2日、米国ペンシルベニア州のアーミッシュの学校に、32歳の米国人運転手が侵入して、女児5人を監禁、射殺したうえ、自殺したという事件が起きました。その時、最年長の女児が「私から撃って」と、申し出たそうです。妹さんも「次は私を」と、進み出たそうです。世界は感動で震えたと思います。

東京新聞10月13日号「ニュースの追跡」で詳しく解説しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ケイタイ

ケイタイは 通話だけでは 意味がない
 ネット交信 世界広がる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

労働

ケイタイと ノートパソコン 街中に
 書斎広がり いつも労働

| | コメント (0) | トラックバック (0)

信頼

我がために 不幸になりし 人ありて
 信頼寄せる 心はあはれ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ストレス

人がいて 多過ぎるなら ストレスだ
 いなくなったら 生きる気しない

| | コメント (0) | トラックバック (0)

転生

転生を テレビで流す 好奇心
 はかなき命 不思議に応え

| | コメント (0) | トラックバック (0)

青雲の志

青雲の 志あれ いつまでも
 それだけあれば 運は開ける

| | コメント (0) | トラックバック (0)

愛国心

国愛す 心7・3 肯定す
 3割保留 民主主義なり

| | コメント (0) | トラックバック (0)

雰囲気

雰囲気は 景気回復 感じるが
 操作されてる へそ曲がりかな

情報が反復・再生産されていて、日本という社会の気が作られているように思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月12日 (木)

北朝鮮

そろそろだ 次の体制 どうなるか
 それ以外には 選択肢なし

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ニート君へ

不感症 世界を覆う ベール見て
 その裂け目には 今も柴燃ゆ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

年金

年金に 頼る人増え 若者不満
 むしろ税金 議論を遮断

| | コメント (0) | トラックバック (0)

書店

売らんかな 新刊並ぶ 書店にて
 感性整理 哲学遊び

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今ここ

今ここは 事実であるが 理由なし
 理由つけたし 探検心

| | コメント (0) | トラックバック (0)

夜勤

夜勤者の 職選択の 動機には
 陰裏道を 慕う心か

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自己を求めて

転職で 自己同一を 失えり
 新たな自己を 求める旅へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地震

見下ろした 隣家大揺れ われ微動
 地盤沈下 外に出られず

私は高層ビルの住人。地震で周囲は揺れが大きく大変だが、私の家は余り揺れを感じなかった。しかし、気づいてみたら、地盤沈下で、建物が地下に埋まり、外に出られない状態であった。

夢。どう解釈するのか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月11日 (水)

人生スピード

鈍行で 人の輪参加 進もうか
 急行で行くか どちらがいいか

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チャングム似美人

チャングムに 檀ふみえさん 似ているな
 目鼻口など その気になれば

「チャングムの誓い」の韓国人主演女優イ・ヨンエさんと日本の女優檀ふみえさんは似ていると思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

便利生活

生活は よほど便利に なったけど
 生き方知らず 便利に溺れ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

6者会議

出たくない 6者会議の 本質は
 国際管理 まさかの備え

北朝鮮の将来を考えてのことかと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

中朝関係

同志にて 兄弟分の 国を蹴り
 緊張走り 民は平穏

核実験後、平壌は平穏と、テレビが伝えていました。やはり「鎖国」的状態なのかな、と思いました。外国のニュースが伝わっていないのでしょう。この国だけは、グローバリゼーションとは無関係なのかも知れません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

真相

騒がしい 核実験は 脅威でも
 あるいは悲鳴 お国の事情

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月10日 (火)

現代風

ながら族 現代風に 生きてるね
 ちっちゃな工夫 大きな成果

ゲームして 心奪われ 成長す
 成長ゲーム 見つけたいなあ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

友好は手段

国益は 何かと問わる 外相の
 友好手段 答弁聞いて

「友好は手段であって、目的ではない」との麻生外相の国会答弁。国益、実利とは何か。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

戦略的互恵関係

開けゴマ 魔法の言葉 今はこれ
 戦略的な 互恵関係

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年10月 9日 (月)

核実験

北朝鮮が核実験を実施したと発表し、騒然としています。日米は協力して、北朝鮮からの核攻撃に対応しようとするでしょう。

その面での準備は出来ても、もっと怖いのは、テロリストたちに、この武器が渡ることではないかと思います。相手を死なすために、自ら死ぬことを選び取る人たちに、こんな兵器が渡ったら、安全保障なんてありえません。9・11同時多発テロは飛行機が使われましたが、そんな突発的な攻撃で核兵器が使用されたら、打つ手はないと思います。それが一番、怖いと思います。しかも、北朝鮮は経済的に追い詰められています。日本は経済制裁をすると言います。だから、核兵器がテロリストたちに売買される可能性もあるでしょう。これは怖いことです。

中国にしても、もし、こんな問題がエスカレートしていけば、オリンピックの話ではなくなります。だから、中国が北朝鮮の核実験に反対なのも分かります。

ところで、北朝鮮は社会主義国と思いますが、そもそも社会主義というのは経済問題を重視するのではなかったかと思います。経済が破綻しているというのは、社会主義の建前としてはおかしいのではないでしょうか。マルクスは、今の北朝鮮を見たら、何と言うのでしょうか。何か、イデオロギー優先で、それが宗教じみていて、科学的ではないように思います。社会主義は下部構造優先で、宗教などの上部構造は批判の対象でした。しかし、今の北朝鮮は、上部構造の「宗教」が絶対で、批判を許さない体制のように思いますが、これが社会主義なのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

純正律

癒しには 純正律を 使うべし
 宗教家的 使命感あり

10月8、9日の、こころの時代「ハーモニーで癒やしたい~純正律の不思議」玉木宏樹(作曲家)を聞いて

| | コメント (0) | トラックバック (0)

電子手帳

重宝な 電子手帳が 姿消し
 ケイタイが増え それで十分

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父不在

父不在 母なるものに 足りぬもの
 周作さんの 時代は回る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 8日 (日)

写生論

写生論 客観主義に 対しては
 カント批判 一読すべし

俳句の客観写生への疑問。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

仏像の顔

仏像の 顔を見ながら ふと思う
 梅原さんに 似ていることよ

梅原さんとは梅原猛さんのこと。駅で仏像の写真の入ったポスターを見て。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

キリシタン文化

キリシタン 何を伝える 今の世に
 長崎県で 文化発信

| | コメント (0) | トラックバック (0)

限界

清濁を 合わせ持つ枠 不可避なり
 見える限界 改革動機

| | コメント (0) | トラックバック (0)

敬虔さ

敬虔な その言葉には 要注意
 対話の拒否は その意にあらず

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自衛権

自衛権 聖書のどこに 出てくるか
 自愛前提 そこにあるのか

| | コメント (0) | トラックバック (0)

要塞教会

要塞の 教会あるを 知りたるも
 無抵抗説く 師の言葉どこ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

翌日

薄暗き 大雨降った 翌日は
 からりと晴れた 涼しき秋日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

勝利を我らに

深夜便 勝利我らに 聞きながら
 ガンジー翁の 生き方思う

| | コメント (0) | トラックバック (0)

説明責任

説明に 責任ありと うるさいが
 自己認識の 求めの強さ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新人類

我が周囲 無数の人が 行き交うが
 新人類も 見え始めたか

| | コメント (0) | トラックバック (0)

見えない国

わが国は 見えないという 師の言葉
 教団造る 弟子よ忘るな

| | コメント (0) | トラックバック (0)

文化発信

世界あて 文化発信 課題には
 芯に宗教 置きたいものだ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

やりとり

卓球も キャッチボールも やりとりで
 刺激応答 生きる秘訣さ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

名作

窮乏し 推敲なしで 書いた本
 名作とされ パンにありつく

ドストエフスキーの名作誕生秘話

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年10月 7日 (土)

転職

転職は 不利と言うけど 見方変え
 終身雇用 会社の奴隷

パート、ニートのみなさん、見方を変えて、頑張りましょう!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

保存やめ

深夜便 録音すれど 保存やめ
 再度聞く時 見つけられずに

深夜便の内容をMDに保存しようと思いました。しかし、MDが多くなり、それを聞いていたら、今朝の深夜便を聞く時間がなくなりました。そこでMD録音はやめることにしました。深夜便の曲の選曲者たちの目を信じています。名曲は何度も放送されています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

癒し

癒しとは 聖化に似てる 少しずつ
 リハビリ続け その調子

| | コメント (0) | トラックバック (0)

気になる名前

気になる名 仁は中国 日は日本
 二代の日には 何かの暗示

日本の天皇の「仁」は中国由来。ところで、北朝鮮の金日成、金正日の二代の「日」は、あるいは日本由来ではないのかと。そう思うと複雑な思いがしますが、そうではないでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

憲法改正

改正と 言ったところで 戦争の
 できる国へと 変えるのでない

憲法改正と言うと、現在の憲法の平和主義の否定を画策するのか、という議論が出るのですが、そうではないのでしょう。現在の憲法を護持するというのは、自衛隊解散、日米安保条約破棄を意味すると思いますが、憲法護持論者はそう考えているのでしょうか。改正論者といっても、自衛隊合憲、日米安保条約堅持ということであれば、現実にそうように憲法を変えるという意味でしかありません。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年10月 6日 (金)

化粧

化粧とは ヨロイのような ものという
 百恵さんにも 武士道なのか

10月3日、ラジオ深夜便で、山口百恵さんの歌が紹介されました。彼女の著書の中に、歌う時の化粧というのは、戦場における男のヨロイのようなものかも知れないといった感想が書かれているとのこと。やはり、時代を造る人たちの心構えは違うのだな、と思いました。「今日の我に明日は勝つ」というのは美空ひばりさんの言葉です。何か、凛とした精神を感じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自己省察

短歌にて 自己を見つめる 習慣を
 生涯かけて 実践したく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

雨の日

雨は言う 昼の人たち 静まれよ
 街に人なく 休日のよう

| | コメント (0) | トラックバック (0)

理由

しっとかな ライバル意識 かも知れぬ
 そんな理由じゃ 政治じゃないな

10月4日、EUの欧州議会で、ソラナ共通外交・安全保障代表は、北朝鮮の核実験予告の理由として、韓国人が国連事務総長に内定したことへの「しっと」「ライバル意識」による可能性を指摘した、という。(毎日新聞061006)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

祖父似

目のあたり 祖父に似ている 新首相
 斜めに見ると よく分かるんだ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

遺骨箱の十字架

自殺した 少女の遺骨 十字架に
背景何か 気になる私

| | コメント (1) | トラックバック (0)

自由

ウイルスを 放置するのか 自由さん
どれがウイルス 分からぬのだよ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 5日 (木)

体には 代替できる ものもある
 私であって 私でないよ

私とは何か。代替できるものではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

必勝の信念

必勝の 信念もって 進むべし
 その形成の 日々を見守る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

北朝鮮の核実験声明

挑発か 精神科医の 出番だよ
 いじめ過ぎれば 暴発怖い

| | コメント (1) | トラックバック (0)

公開日記

日記とは 公開されねば 意味がない
 内村日記 珠玉の言葉

| | コメント (0) | トラックバック (0)

啓蒙

啓蒙に 原罪はなく 進化のみ
 両者対立 ダーウィンにても

カントに「啓蒙とは何か」の本がありました。理性の根拠を示しつつ、その行使を勧めた本でした。しかし、その理性の根拠に原罪がからんでいる、その両者の関係をどう見たらいいのか、そこが問題と思いました。それはダーウィンにおいても再燃された議論でした。彼らはキリスト教社会にいたので、議論が生まれました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自由

日本は 米国化する 自由ゆえ
 トラブル続き 法の仲裁

形式と 内容乖離 明白で
 調整苦労 教育操作

我ら生く 社会の病理 見つめつつ
 少し進めば 視野も開けて

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ボランティア義務化

強制は ボランティアでは ないけれど
 自由の危険 感じるお上

人々に 自由律する 心なく
 その心への 斬り込みいかに

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自由社会

求むべき 自由社会で 人は病む
 その問題が 見え始めてる

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年10月 4日 (水)

人間の限界

人間は 体病んでも 耐えられる
 心病む時 お手上げである

人間にとって、真の限界は、心の限界であり、無意味さというものである。ニヒリズムが真実の敵である。そして、それに勝つことは容易なことではない。

「人の心は病苦をも忍ぶ、しかし心の痛むときは、だれがそれに耐えようか。」(箴言18・14)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ああうれし

ああうれし 讃美歌にあり 今はなし
 残念至極 なぜか分からぬ

「讃美歌21」が、今、使われている讃美歌ですが、その前の「讃美歌」の529番は「ああうれし」という歌でした。救いの喜びを歌ったもので、私の愛唱歌の一つでした。救世軍の軍歌にも載せられていたのですが、そちらでは「あなうれし」という歌詞で、少し違っていました。今、この歌を歌う人はいないのかも知れませんが、救いの体験を重んじるウェスレーやメソジストの流れの中では、忘れられるというのは、少し淋しい気持ちがします。

一番の歌詞は次のようです。
「ああうれし わが身も 主のものとなりけり うき世だにさながら あまつ世のここちす うたわでやあるべき すくわれし身のさち たたえでやあるべきみすくいのかしこさ」

| | コメント (1) | トラックバック (0)

吉満義彦先生を偲ぶ会

今年度(2006年、平成18年)「吉満義彦先生を偲ぶ会」が下記の通り開催されます。

●日時 10月29日(日)午後2時~
●場所 四谷若葉町 サレジオ管区長館

| | コメント (0) | トラックバック (0)

現代教師論

教師論 肩書きだけで できないよ
 学び続ける 力問われる

学ぶ人 教える側に 立つがよい
 手段は多々に IT時代

学ぶひと 教えることは 一つなり
 その循環を 加速させよう

私は万巻の書を読むという意欲を感じることがあるのですが、ただ単に読むだけでは続かないと思います。着想、発見を公表しなければならない。それがあって、初めて続行できるのだと思います。その公表の場は、伝統的には書物なのでしょうが、今はインターネットではないかな、と思っています。インターネットを通して、今では、誰でも教師になれる。それは実質的な教師であり、肩書きや資格の問題ではありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

タバコ吸う少女

タバコ吸う 少女の顔は 幼くも
 仕草にかおる 反抗気分

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 3日 (火)

単独者

比較して 平均求む 心には
 孤独を生きた 単独者なし

| | コメント (0) | トラックバック (0)

正常の異常

正常を 求める心 省みて
 病理に気づく こころ医者かな

NHKラジオ第2放送で、「こころをよむ」という番組があります。10月から始まりました。精神科医のなだいなださんが話しをされています。そのテキストが「こころ医者入門」として書店にあります。その中に、第5回「<正常>をよむ 正常とはなんだろう」があります。教えられました。なださんの話は、1回、国会の議員会館で聞いたことがありましたが、本は読んでいません。しかし、正常の問題点を的確に説明されていて、感銘を受けました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 2日 (月)

心の痛み

不意に来る 心の痛み 故知らず
 祈れ祈れの 催促なのか

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ショック療法

カリスマの 空気漂う 首相去る
 ショック療法 息(いき)吹き返す

| | コメント (0) | トラックバック (0)

英雄待望

英雄は 凱旋門に ふさわしと
 馬応援に 大挙押し寄せ

パリ郊外のロンシャン競馬場での凱旋門賞にディープインパクトが3着で敗れる。優勝を狙っていた。日本から大勢応援に行った。ちょっとした英雄待望の気分が日本にあるのだと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »