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2006年10月29日 (日)

『天皇のロザリオ』(上巻)

『天皇のロザリオ』の問題と思われる個所を上巻と下巻に分けて紹介する。(●は私の感想)

■上巻

49頁 「敗戦後、マッカーサーは数多くの司祭たちを天皇のもとへ送ってきた」
●司祭ではなく、プロテスタントの宣教師であろう。

66頁 マッカーサーは、1946年9月2日の対日戦勝記念日に、長文の声明を発表したが、その最後に、こんな言葉がある。「日本の占領が文明の進歩に寄与した最大の貢献は個人の自由と尊厳という偉大な概念を日本に導入するとともに、キリスト教の理想がアジアに進出する機会をあたえたことにある、ということを歴史は永く記録するだろう」。これ以降、マッカーサーは、「キリスト教」という言葉を使わなくなるという。
●ここで、マッカーサーは、カトリックについては眼中になかったのである。なぜなら、フィリピンはカトリックの国で、アジアに位置しているではないか。フィリピンを思えば、アジアには、すでにキリスト教の理想が進出していたのである。

208頁 「足軽の下駄番、卒出身の伊藤博文らは、天皇を「生きる神皇」に仕上げることにした。そこでキリスト教を導入した。自らもキリスト教徒に帰依した伊藤は朝廷内部にキリスト教を持ち込んだ。国家神道とキリスト教は驚くほど似ている」
●明治憲法が、西洋のキリスト教のようなものが日本にも必要と認めて、伊藤博文が作ったことは知られている。しかし、伊藤が、それを通してキリスト教を導入したとか、自分もキリスト教徒に帰依したというのは、初耳である。国家神道とキリスト教の類似に着目するのであれば、伊藤ではなくして、平田篤胤を取り上げなければならないのではないだろうか。

294頁 「敗戦直後の文部大臣前田多門(クエーカー)の娘で、美智子皇后と深い関係にあった神田美恵子(彼女もクエーカー)は、」
●神田は神谷の間違いであろう。内村の聖書研究会の会員であった前田多門がクエ ーカーであっただろうか。彼の娘の神谷美恵子もクエーカーだったのだろうか。神谷の場合、学んだ学校がクエーカーではあったけれど。

400-404頁 吉田茂とカトリックとの関係について詳しく書かれている。それによると、吉田の妻(雪子=牧野伸顕・元内大臣の娘)はカトリックで、娘(麻生和子)もそうであった。麻生和子は吉田の秘書役をしていた。彼女の夫は、麻生 多賀吉だあったが、夫もカトリック信者という。(牧野伸顕は元勲・大久保利通の次男)
      
「吉田茂は、日本のカトリックの布教に大いに功ありとして、教皇庁の最高のサン・グレナリオ騎士団勲章を授与されている」(401頁)とあるが、信徒でもなかった吉田茂が、どうして「日本のカトリックの布教に大いに功あり」などという理由がつけられたのだろうか。
      
「吉田茂はカトリックの信仰が厚かったが、洗礼は受けなかった。それは義父の牧野伸顕が「隠れカトリック」でいるようにと説得し続けたためであろう。吉田本人も、信仰表現しないほうが得策であると思ったからにちがいない」(401頁)とあり、麻生和子は、『父吉田茂』の中で、「亡くなった母も私もカトリックでしたから、父も最後には洗礼を受けると約束していました。そうしてまんまと天国泥棒しようというのです」と書いているという。死ぬ間際に信仰を告白しようという人が、ど うして信仰厚い人なのだろうか。
      
しかし、「吉田氏は生前カトリック信者になりたいと家族にもカトリック東京大司教の浜尾文郎神父にももらしていたため、死後の直後に、浜尾神父の司式で洗礼「トマス・ヨゼフ」の名を受けた」(朝日新聞1967年=昭和42年10月23日)
      
吉田茂は昭和42年10月20日に亡くなる。23日、東京カテドラル聖マリア大聖堂で内葬が行われた。
      
麻生和子の娘の麻生信子もまたカトリック信者という。彼女は、三笠宮の第一皇子寛仁(ともひと、通称、ヒゲの宮様)と結婚した。和子の息子の麻生太郎氏は、国会(03年11月26日の参議院予算委員会)で、三位一体の改革について、答弁する時に、「三位一体の改革」の三位一体は神学用語であると述べ、自分を「敬虔なカトリック」と言ったことがあった。

441頁「三男の高松宮は、後述するが、キリスト教に深く帰依していた」
●本当だろうか。今上天皇が皇太子時代の家庭教師がヴァイニング夫人であり、彼女がクエーカーであったことは、日本人であれば誰でも知っている。その影響が皇室に残ったであろうことは、不思議ではない。しかし、だからと言って、皇族がクリスチャンになったとまで、言っていいのだろうか。

446頁 山梨勝之進という人物について、「彼は洗礼こそ受けていないがキリスト教信者であり、学習院の院長であった」
●洗礼のないキリスト教であれば、クエーカーか無教会かとなるが、山梨氏は、どちらなのだろうか。

448頁 1953年に、ヴァイニング夫人は『皇太子の窓』という本を米国で出版している。その中で、夫人が皇太子に対して祈ったことが書かれている。著者は、その部分を引用して、「かのときのヴァイニング夫人の祈りは、皇太子がキリスト教徒になってほしいと願うものであった。そしてその祈りは現実のものとなった。……この時から、弟宮の義宮もクリスチャンとなっていた」
●ここまで書いていいものだろうか。

451頁「私たち日本人は、皇太子(今上天皇)がクエーカー教徒のヴァイニング夫人から、見事にクエーカー教徒の信仰と思想を受け継いだことを知る必要がある」
●皇太子が、ヴァイニング夫人から人格的に大きな影響を受けたことは、日本人なら誰でも知っている。しかし、だから、皇太子はクエーカー教徒になったと言っていいのだろうか。飛躍があると思う。

457頁「はっきり書こう。今上天皇はクエーカーの平和思想の持ち主である。そしてまた、キリスト教を受け入れた天皇である」
●ヴァイニング夫人の影響を受けられた方だ、というのなら、その通りと思う。しかし、自らクエーカーとして生きるとは言われていないと思う。そして、相手が宗教者であれば、それくらいの影響が行使できないで、どうして宗教者かと、逆の問いも出てくると思う。
キリスト教徒であっても、ガンジーを尊敬し、影響を受けることはあるだろう。しかし、ガンジーはヒンズー教徒であった。ガンジーの影響を受けたということで、その人をヒンズー教徒というのは、少し言い過ぎではないかと思う。

467頁「寺崎は天皇の許可を得て、自らすすんでクエーカー教徒となり、」
●寺崎とは寺崎英成のことで、娘さんはマリコといい、日本ではよく知られている。テレビのドラマにもなった。しかし、マリコさんの父がクエーカー教徒とは知らなかった。
昭和天皇は自らキリスト教徒になってもいいと思った時があったようである。しかし、実現はしなかった。なぜか。キリスト教徒といっても、現実は教派への所属を考えなければならず、そこで選択ができなかったのだろう。カトリック教徒になることはGHQが許さなかったであろう。であれば、プロテスタントになるとして、どの教派に所属するのか、そして、その教派の、どの教会に所属するのか。
個人であれば、簡単な問題であるが、国の象徴ともなると、そうではない。天皇が日曜ごとに、特定の教会の礼拝に出席する姿を考えることができるだろうか。 そんな教会が日本にあるのだろうか。

最後の項目「かくて、皇太子はキリスト教徒になった」
●少し刺激的である。しかし、決定的な言葉はなく、ただ著者の推測という一面もあるように思う。

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コメント

前田多門氏は無教会の中におられたと思いますが、のちクエーカーになられたようです。

投稿: | 2006年10月29日 (日) 19時46分

失礼ながら、どこから直せば良いのかわからないくらい事実誤認が多いように思います。吉田茂氏の受けた病者の塗油はカトリックにとっては大切な秘蹟であるし、それをもって信仰心が薄いというのは信仰を持ちながら洗礼を受けずに暮らす生活の必然をまだご存じないからではないかと思いますし、洗礼を行わないプロテスタントはそれこそ沢山のグループがあります。寺崎氏はクェーカーではなくカトリックでした。あれこれキリスト教についてご存じない方達が読まれると、誤解が沢山生じると思われる本は、これだけではありませんが、最近は検索などでもう少し様々な疑問にきちんと答えてくれるサイトが増えていると思います。そういったものをご覧になることで、著者の意図、ご自分のお考えも様々に変わることもあるのではないかと感じます。少なくとも、いくらかの訂正が将来入れられることを希望してやみません。

投稿: RMY | 2008年9月13日 (土) 06時40分

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