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2006年10月15日 (日)

道徳教育の再建

私は学校教育で道徳教育というものを教わった経験はない。今、この教育が、どのように行われているか知らないが、一つの提案がある。

今、これが道徳だという形で、子どもたちに道徳規範を教えることはできないであろう。それができる、復活せよという流れには、私はいくらか批判的である。教育基本法改正問題が政治の課題になっているが、その中で、そんな議論が生まれても、批判が強いのではないだろうか。

しかし、道徳教育を何らかの形で行わなければ、子どもたちの未来が心配なのも事実である。子どもたちに現代社会を力強く生きていってもらいたい願いが、教育基本法問題にあるのだろう。いじめられて自殺するような子どもではなく、そんな環境を跳ね返し、自分で主体的に生きていける芯の強い子どもにするには、どうしたらいいのだろうか。

現代社会の中で生きる方法を、子どもたちに与えなければならない。書店などでは、ハウツーものは多い。生き方に関心を持つ子どもは、それらを読むであろう。しかし、身につくのだろうか。身につけさせるためには、自分で表現しなければならないのである。表現し、他者に伝え、その交流の中で、ようやく身につくようになるのである。学ぶことは教えることにつながらなければ、学ぶ意欲が失われてしまう。

そこで、生き方関係文献で読んだものを、短歌形式で表現する、それを発表する。そんなことを道徳教育の中で実践したらどうかと思う。短歌だから、誰にでもできる。そして、自分で作ったものは忘れないであろう。こうして、生き方のノウハウを日常的に蓄積していけばいいのである。

自殺を選ぶ子どもたちが多い。いじめの環境に謝罪する学校の責任者があとを絶たない。しかし、環境をよくして、自殺志望者はいなくなるのであろうか。悪い環境を乗り越えていく心を育てなくてはいけないのではないだろうか。道徳教育の眼目は、そこにあるのではないだろうか。

いろんな方法があろうが、試行錯誤でもいい。いじめによる自殺児童があとを絶たない現在、余り時間は残されていないと思うべきである。

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コメント

いじめの被害者は無念だったと思う。遺族も悔しいだろう。そんなことがあっていいとは思わないが、では、どうしたらいいのだろうか。加害者も、どこかで被害者かも知れない。そんな視点もあっ欲しい。原因は、どんどん遡ることができる。悪循環がある。そんな人間関係を遮断することから始めるしかない。自分が日々、接している少数の人たち、そこでの人間関係に注意を向ける、そこから始めるしかないのではないだろうか。

投稿: | 2006年10月16日 (月) 08時04分

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